―胸が苦しい、喉の奥が焼けるように熱い。私はこのまま死ぬのだろうか。
―ああダルタニャン、そんな顔しないで。これでようやくあの人に…フランソワに会うことができるのだから。
―…でもここでこんな風に死んでいくのだったら、アトスとポルトスにちゃんと本当のことを話しておくべきだったかな…。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アラミスは目を覚ました。目の前には見慣れた白い天井が広がっている。先ほどまであんなに自分を苛んでいた焼けるような苦しみは、まるで嘘のように消えていた。
「お加減はいかがですか?」
声をする方に顔を向けると、そこには見知らぬ男が椅子に腰かけていた。年のころは自分と同じくらいだろうか。黒い髪と黒い瞳を持ち、黒い簡素な修道服を身にまとっているが、相反して手は女のように白く、頬はバラのように赤い。
「あの…ここは…私は一体…?」
男はニコリと笑うと優しい口調で答えた。
「ここはベチューヌにあるカルメル会修道院。貴女は毒の入ったワインを飲み、意識を失って倒れていたのです。そこへ丁度、今日こちらで説教をする予定だった司祭様がお着きになり、この騒動に出くわしたというわけです。私はそのお供として同行していたのですが…司祭様が持っていた解毒剤が効いたようで良かった」
ルネは今日の午後、他の教会の司祭がミサのためこの修道院に訪れる予定になっていたことを思い出した。(ミサは通常神父が行うため、女所帯の女子修道院でのミサには近隣の教会や修道院から司祭が派遣されることになっていた。)
「そう…ですか。…私は死ななかったのですね…」
「まるで死にたかったような言い方ですね。自殺でもなさるおつもりだったのですか?」
「いえ!そういうわけでは…。ただ、私はもう助からないだろうと思っていたものですから…」
修道士の少し咎めるような口調に、アラミスは慌てて否定するように言った。確かにフランソワに会いたいのは山々だったが、キリスト教徒にとって自殺は最大の罪、修道女を目指す自分がそんなことを一瞬でも考えたと知れれば、おとがめを受けるだけでは済まされないだろう。
心の動揺を悟られないよう、ルネは急いで話題を変えた。
「そういえば私が意識を失うとき、銃士隊の方々とコンスタンスという女性がいたはずですが、あの方たちは今どこに…?」
「貴女のことは死んだと思って、この修道院を後にしたようです。私たちとは入れ替わりでした」
「そう…でしたか…」
アラミスは落胆の色を濃くする。修道士は、この女性は自分達にとって大切な人だから…とあの銃士達が言っていたのを思い出した。
「『意識を失っていた』と言ってもほとんど仮死状態でしたからね。死んだと思われたとしても無理はない。神父様と尼僧院長様に、貴女を丁重に弔うよう、何度も念を押していましたよ」
「そう…ですか…」
自分だってもうダメだと思ったのだ。仕方がないとはいえ、なんだか彼らに見捨てられたような、置いて行かれたような気がして、アラミスは寂しい気持ちになった。
「…大切なお友達だったのですか?」
「ええ…まぁ…そんなところですわ」
どうも歯切れの悪い返事に、修道士はあまり触れられたくないのだろうと察し、それ以上は聞かなかった。
会話がプツリと途切れてしまい、ルネは言いようのない焦燥感に駆られた。一人取り残された寂しさに加え、意識が戻ってまだ頭の中が混乱しているせいもあるのだろうか。何か喋っていないと落ち着かない。だが、何を喋ったら良いのか分からず、何か話題になるものはないかと必死に視線を彷徨わす。
「そういえば」ふと、目の前の男が口を開いた。「まだお名前を窺っていませんでしたね。私はルネ・デルブレーと申します」
「まあ!」
「どうかされましたか?」
「奇遇ですわね。私も“ルネ”と申しますの」
「ほう!」
同じ名前を持つ者がいるのは決して珍しいことではなかったが、友が去り、愛しい人との再会も叶わず、今まで心の支えにしていたものにことごとく裏切られたような気がしている彼女にとって、それは一筋の希望のように思えた。
顔に自然と笑みがこぼれる。
「そんな風に笑っていた方がお似合いですよ」
修道士らしくない、貴族の紳士のような言い方に、ルネは思わず顔を赤らめた。そういえば自分が他の女性にそういうことを言うことはあっても、自分が言われることは久しくなかったと思い出した。
「もう少し貴女とお話ししていたいが、お元気になられたようなので失礼いたしますよ。神父様と尼僧院長様に貴女が気がつかれたことを報告しなければなりませんので。…ではごきげんよう。貴女に神のご加護があらんことをお祈りしていますよ、ルネ」
「ありがとうルネ、私も貴方に神様のご加護があることをお祈りしていますわ」
男は女の手を取るとその甲に唇を押し当て、優雅なしぐさで一礼すると部屋から出て行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから1年後の秋、ラ・ロシェルはついに陥落、フランス側の勝利となり、降伏文書の調印が行われた。
戦後の事務的な処理を終えたトレビルは国王に休暇を願い出ると、早速ノワジーへと向かった。ノワジー・ル・セック村の男爵に、姪の死のお悔やみを伝えるためだ。
ベチューヌからコンスタンスを連れて戻ってきたダルタニャン達から、アラミスがコンスタンスの身代わりとなって死んだということを聞かされ、大きな衝撃を受けた。
8年間、彼女の面倒を見てきた自分でさえそうだったのだ。後見人として10年以上、彼女を育ててきた男爵の悲しみはいかばかりだろう。9年前、行方不明となった愛娘がようやく帰って来たと思った矢先、身の落ち着け先で命を落としたのだから。
自分にその悲しみをいやすことはできないが、せめて彼女が友情に殉じ、祖国のため勇敢に戦い死んだのだと伝えることが、8年間彼女を匿っていた自分自身の責務であることのように思えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「これはこれはトレビル殿…お久しぶりですなぁ」
「男爵殿、こちらこそご無沙汰しております」
屋敷の客間に通されたトレビルは、男爵のにこやかな挨拶に度胆を抜いた。姪を亡くし、てっきり落ち込んでいると思っていたからだ。そいういえば自分を取り次いだ従僕も含め、屋敷全体が喪に服しているという様子ではない。
「それでトレビル殿…今日はどのような御用で…?」
奇妙な表情をしているトレビルに、男爵が問うた。
「それはその…ルネ殿のことでお悔やみを…」
「ルネ?ルネなら元気にしておりますぞ」
「は?」
トレビルが素っ頓狂な声を挙げる。
「丁度先ほど遠乗りから帰ってきたところで…。そうだ、貴方が屋敷に来ていると知ったらあの子もとても喜ぶはずだ。会ってみますかね?」
男爵はトレビルの返事を待たずに呼び鈴を鳴らすと、従者にルネを連れてくるよう命じた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「全く…生きているのならなぜ連絡をせん。どれだけ心配したと思っておるのだ」
2人は屋敷の中庭に出た。東屋の周りには、色とりどりの季節の花が咲いている。トレビルの問い詰めるような口調に、アラミスは沈んだ表情で答えた。
「すみません…」
「ダルタニャン達は知っているのか?」
庭に咲く花々の間を歩きながら、ルネが首を静かに振る。
「やはりな…」
知っていれば、自分の所に報告しに来ただろう。何も言わずに戻って来るとは、彼女らしいと言えば彼女らしかったが。
「なぜ彼らに連絡をせん?知れば大手を振って喜ぶだろうに…」
「それは…。…あの、私が生きていることは、ダルタニャン達には内密にしてもらえませんか?」
「なぜだ?」
「何だかまだ、気持ちの整理がつかなくて…」
もう女だということはバレているので、今更何の気持ちの整理がつかないのかトレビルにはさっぱり分からなかったが。
「勝手を言ってすみません。その内必ず…私の方から連絡しますから…」
すまなそうに頭を下げる彼女に、トレビルはそれ以上この件を問い詰めるのをやめた。
「まぁ良い。ところで、どうしてノワジーに戻って来たのだ?修道院の方はもう良いのか?」
「あの騒動が叔父の耳に入り、あんな危険な場所に入れておくわけにはいかないと、連れ戻されたのです」
「なるほどな」
神に仕えるために入った修道院で、本当に神の元に召されてしまったではシャレにならない。あのような目に遭うのならいっそのこと自分の手元に置いておきたいと思ったのだろう。8年間も姪の生死にについて気をもみ続けていた男爵が、いささか彼女に対して過保護になるのもうなずけた。
「昔は抵抗しようと思えばどんな手段を使ってでも抵抗していた私が、叔父様の言うことを素直に聞くなんて、不思議なものですよね」ルネがふと、自嘲気味に笑う。「何だかあの件以降、自分の中で張りつめていたものがプツリと切れてしまったようで…」
「まぁ、あんな事件のあった後だからな。しばらく実家でのんびり過ごすのも悪くなかろう」トレビルは慰めるように言ったが、諦めとも受容ともつかない彼女の言い方に、些か不安を覚えた。
彼女のことは幼いころから知っているが、このように気弱なことを言う娘ではなかったはずだ。考えてみれば以前は強い意志を宿していたその青い瞳に、今は意志の欠片も感じられない。
「そういえば、ダルタニャン達が仇は取ったと言っていたぞ。今度こそミレディを処刑したそうだ」
「そうですか…」
どこか他人事のような返事に、トレビルは相手の顔を怪訝そうに見る。表情は沈んだまま…というより、先ほどより明らかに沈んで見えた。
「どうした?仇を討ったと聞いたら、喜ぶと思っていたのだが…」
「あ…いやその…嬉しくない訳ではないのですが…この1年間、色々なことがあって、まだ少し頭が混乱しているようで…」
トレビルはそれは嘘だと直感した。一体自分の知らない所で彼らに、いやむしろ彼女に一体何があったというのだろう。
疑問に思うことは多々あったが、今は彼女をそっとしておくのが先決だと感じ、トレビルはそれ以上突っ込んだことを聞こうとはしなかった。
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<補足説明>
真打登場してようやく出会えたところで、もうちょっとだけ続くんじゃよ(笑)。
原作アラミスがあまりというか全然黒くないのは原作1部終わった直後くらいの時期を想定しているからです。
一応原作アラミスは「助祭」という立場で修道院にやってきたということにしています。今では「助祭」というちゃんとしたポストがあるんだけど当時はまだなかったみたいなんだよね。「助祭」という言葉はあってもあくまで「司祭のアシスタント」というか正式に司祭になる前段階の見習い司祭みたいな?感じだったようなので。それが叙階受けた後、いきなり司祭の仕事するんじゃなくてまずは先輩司祭の仕事見て実際の司祭の仕事を体験してから〜だったのか、司祭希望の修道士の適性判断するための「試用期間」だったのか良く分かんないんだけど、「修錬士(女)と修道士(女)みたいなもん?」と思ったので後者を取ってみました。なんとなく「論文提出から正式に叙階受けるまでの猶予期間のお仕事」みたいなイメージ。
ちなみに「なんでアニ三アラミスは助かったのか」ですが、「市販の解毒剤でも、この修道院の薬草で作った薬でも解毒不可能=別の修道院で栽培されている薬草(栽培されている薬草の品種が違う)で作った、市販されていない解毒剤なら解毒可能」という理屈です。この神父様は医学とか薬学専門の人で毒の症状に詳しかったんだな。そしてキリストの奇跡を体現させるため(笑)、常に超強力な薬を持ち歩いているという設定。
ところでこの話の修道院での件書いてるとき、「ああ〜これ作中の『アラミス』表記は原作の方にとっといてアニ三アラミスは『ルネ』の方にしとけばよかった〜」と何度思ったことか(泣)。
もう状況に合わせて入り乱れさせたい!そしたら余計分けわかんなくなりそうだけど!
尚、原作アラミスのセリフは臭すぎて我に返って読むと恥ずかしくてならないので我に返って読み返してないです。なのでヘンでも気にしない方向でお願いします(笑)。
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