―ああどうしよう…まずいことになった…!
アラミスは狭い自室の中を腹立たしげに歩き回っていた。
―こうも早くミレディに見つかってしまうなんて!
同じ屋根の下で暮らしているのだから見つかるのは時間の問題だと思ってはいた。情報収集とミレディとの直接の接触を避けるため、昨夜から今朝にかけてコンスタンスがどこかに行くときは必ず一緒に行くようにしていたのだが、やはりそれだけでは限界があったのだ。
―まさか院長に直接話を聞きに行くとは…。
院長室から出て来たミレディの表情を思い出し、ゾクリとする。
―あれは絶対に何かを企んでいる顔だ。
やられた…と思った。コンスタンスから悠長に話を聞き出そうとするのではなく、何かしら理由をつけて院長を訪ねるべきだったのだ。ここの時間の流れに慣れてしまったせいなのか、そんな当たり前の判断すらできなくなっていたことが口惜しい。
だが収穫はあった。コンスタンスがここに来た理由が分かったからだ。
王妃の命令でここに入れられたのなら、王妃の命令があればここから出ていくことが出来るということだ。これは彼女にとって、事態を打開するための唯一の光明だった。
―何とかして王妃様にこのことを知らせなければ…。でもどうやって…?
打開の糸口はあっても問題は山積だ。ここから直接連絡を入れるとしたら手紙を出すしかないが、王妃の周辺にはリシュリューが多数のスパイを放っているだろう。そのスパイの目を掻い潜って手紙を王妃の元に届けなければならないのだが、そもそも自分は王妃に直接連絡を入れられる立場にない。王妃はもちろん「ルネ」なんて女性は知らないし、一介の銃士が王妃と直接連絡を取れるわけがないのだ。
それと、もう1つ問題があった。ここから手紙を出すということは送付元が尼僧院になるということだ。これでは自分の秘密がバレてしまう。それは何としても避けたかった。
アラミスはかつてないほどめまぐるしく頭を働かせた。
―私が女だと知っていて尚且つコンスタンスのために王妃様と連絡を取ってくれる人…?ダルタニャン?
いや…ダメだ、とアラミスは頭を振る。コンスタンスの話によると、銃士隊はもうラ・ロシェルに向けて出発している。手紙が届く頃にはもう陣営に到着しているだろう。戦場ともなれば、手紙の検閲も厳しくなるはず。リシュリュー側はもとより、敵側のスパイだっているはずだ。
仮に無事に届いたとしても、そこから王妃と連絡を取ることなど不可能だ。王妃に知らせるためには、誰かが王妃の元に行かなければならない。戦場にいる兵士が命令もなく戦線を離脱することなどできないし、手紙を出すにしても先ほど自分が考えたのと同じ問題にぶち当たることになるだろう。
それに、陣営には大勢の兵士がいる。自分の手紙が他の誰かに見られる可能性も考慮に入れなければならなかった。
―ダルタニャンに直接…ともなれば、アトス、ポルトスだって興味を持つことになるだろうし…そうするとあの2人に私が女だということがバレて…。
…とここまで考えたとき、アラミスは重大なことに気が付いた。ダルタニャンには自分の本名を明かしていなかったのだ。尼僧院から「アラミス」の名で出すことはできないし、かと言って本名で出しても誰から来たのか分からないのでは意味がない。
―ああ!こんなときジャンとコピーがいてくれれば、ダルタニャンになり王妃様になりトレビル隊長になり、直接連絡を取ってもらうことができるのに…!!
アラミスはもどかしさのあまり何かに八つ当たりしたい衝動に駆られたが、適当なものが見当たらず、とりあえず少し外の空気に当たって気を落ち着かせようと窓を開けた。その時ふと、
―そうだ…トレビル隊長なら!!
トレビルなら自分が女であることも、もちろん本名だって知っているのだから何の問題もない。しかも自分はトレビルの縁者だ。修道院にいる親戚の娘が、戦地に赴く小父を気遣って手紙をよこすなど、どこに不自然な点があるというのだろう!銃士隊長であるトレビルは王宮内に独自のパイプを持っている。リシュリューのスパイを掻い潜って何とかして王妃とコンタクトを取ってくれるはずだ。
トレビルがコンスタンスの件を知っているのかどうか一瞬疑問に思ったが、コンスタンスが誰にも何も言わず行方をくらませたら、ダルタニャンが大騒ぎするだろう。事を荒立てないようにするために、王妃がトレビルを通してダルタニャンにある程度の情報を伝えているということは十分に考えられる。彼女はそれに賭けることにした。
アラミスは急いで机に駆け寄ると紙をペンを出した。少しずつ文章を練りながら、ゆっくりとペンを走らせていく。
お懐かしい小父様
私がここベチューヌに来て、早いもので半年が過ぎようとしています。こちらの生活にも大分慣れてまいりました。世俗のように変化に満ちた生活ではありませんが、主と共にある日々を大変幸福に感じております。生来のお転婆でいつも小父様方のお心を煩わせていた私が、このような穏やかな生活で心満たされるとは、これこそ主の御業というものかもしれません。
そうそう、主の御業といえば、先日こちらの修道院に私の知り合いの方が2名ほど、ご厄介になっていることを知りました。一人はスイスで雪崩に遭って以降行方知れずとなっていた、小父様も良くご存じのあのご婦人。もう一人は、やはり小父様もよくご存じの、私の友人が大変大事になさっている、あの娘さんです。
娘さんの方は都からいらしたばかりで、私が何かと世話を焼いているのですが、都からいらしたばかりの若い方にはこのベチューヌの空気は身体に合わないようです。ロレーヌか、ベルギーあたりの方が空気がきれいだと聞いております。どうか娘さんの後見の方に、宜しくおとりなし下さいますよう。
戦争の噂はここ修道院にも届いております。フランス軍の勝利を皆で日々神様にお祈りしております。
小父様もどうかご自愛くださいませ。
ベチューヌ・カルメル女子修道院にて
ルネ
アラミスはペンを置くと、文面を何度も何度も読み返した。大丈夫、これなら万一スパイや検閲官の手に渡っても、コンスタンスのことを気取られる心配はない。トレビルならきっと、手紙の内容を分かってくれるだろう。
―会うのは、今夜だったか…。
ここからラ・ロシェルまで手紙が届くのに数日はかかる。ルーブルに連絡が行って王妃からコンスタンスの退院命令が出されるまで1週間?2週間?…多少時間がかかってしまうのは致し方ない。
相手に先手を打たれてしまった感は否めなかったが、とりあえず王妃からの命令が出るまでは、ミレディがコンスタンスと接触しても妙な事を起こさないよう、細心の注意を払って見守るしかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
コンスタンスは部屋の窓にもたれかかり、ぼんやりと空を眺めていた。修道院にやってきて1ヶ月。彼女は日中、修道女たちの労働の邪魔にならないよう、部屋で一人物思いにふけったり、本を読んだりするのが日課になっていた。
修道院に入るのはこれで2度目だった。しかし、今回と前回とでは状況がまるっきり違う。ポールロワイヤル修道院でも今後の先行きが全く見えず不安に駆られる毎日だったが、それでも王妃が一緒だったから何とか堪えることができた。王宮から追放され気落ちしている王妃にこれ以上余計な心配をかけないよう、気丈に振舞っていなければならなかったことで、知らず知らずの内に自分自身を強く保つことができた。
だが、今回は違っていた。いつも自分を励ましてくれていたあのガスコンの青年は、今は遠く離れた戦地にいる。いくら王妃がパリで自分を守るためリシュリュー(のスパイ)と戦ってくれているとはいえ、見知らぬ土地でたった一人きりで、いつ終わるとも知れない戦の終わりを待つのは非常に心細かった。
―でも良かった…。お友達が出来て。
来た当初は不安と心細さでいっぱいだったが、隣の部屋のルネという女性や、院長から紹介されたアンヌという女性とはすぐに仲良くなれた。ルネはしばらくパリにいたことがあるらしく、アンヌも自分と同様、リシュリューの迫害に遭っていたせいか、自然と気が合ったのだ。
2人とも自分を何かと気にかけてくれているようで、労働の日課が終わると必ず会いに来てくれる。コンスタンスにとって、彼女達とのおしゃべりがここでの唯一の気晴らしであり、楽しみでもあった。
だがそんな生活も間もなく終わる。王妃の計らいで、別の土地へ移ることになったのだ。
―リシュリューに居場所がバレたのかしら…?
彼女はほぅ…と一人、ため息をつく。
迎えには銃士隊の人達が来るらしい。銃士隊―ダルタニャン…彼に会えると思うと居ても立ってもいられなかったが、ようやくここでやっていける自信がついた矢先にあの気持ちの良い人達と別れなければならないのは、非常に名残惜しかった。
―でも仕方ないわ。下手をしたら、彼女達にも危険が及ぶかもしれないもの。
彼女の手には、先ほど院長から受け取った、王妃の使いの者からの手紙が握られていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「えっ?ここから出ていくことになったの?」
労働の日課が終わりコンスタンスの部屋に行ったアラミスは、コンスタンスの口から近く退院する旨を告げられた。
顔には驚きの表情を浮かべつつも、心の内では胸をなでおろしていた。手紙が無事トレビルの元に届き、王妃が動いてくれたのだ。少し時間はかかったが…。これでようやく穏やかな生活に戻ることができる。
とはいったものの、コンスタンスが無事ここから出ていくのを確認するまでは気が抜けなかった。
「せっかく仲良くなれたのに、残念だわ。色々お世話になったのに、何もお返しできなくて…」
コンスタンスが申し訳なさそうに言う。
「そんなことないわ。むしろお礼を言わなければならないのは私の方よ」アラミスが言った。「あなたとおしゃべりができて、とても楽しかったもの。ホラ、ここって何もないところでしょう?他所に行っても、元気でいらしてね」
「ありがとう」
「それで、いつ発つの?」
「明日よ」
「まぁ!随分急なのね!」
「ええ。迎えにくる方達の都合もあるみたいで…」
言いながらもじもじと赤くなったコンスタンスを見て、アラミスはピーンと来た。以前よくダルタニャンをからかった時に浮かべていた、悪戯っぽい表情で聞いてみる。
「もしかして、迎えに来る方っていうのは、コンスタンスさんの良い人?」
「あ…いや、あの…違います!彼はただの友達で…良い人って…そんなんじゃ…」
「はいはい、御馳走様」
真っ赤になってうろたえたコンスタンスを見て、アラミスはクスクスと笑った。
―そうか、ダルタニャン達が来るのか…。
アラミスはよかった、と思った。どこかで情報が洩れていて、迎えに来る人間がリシュリューに買収される可能性もあったが、ダルタニャン達なら間違いなくそんな心配はないからだ。明日の今日ならミレディに情報が伝わることもないだろう。この日の労働はミレディとは別の班だったため彼女の詳しい動向は把握できていなかったが、ここにはまだ来ていないようだ。コンスタンスがミレディに退院の件を伝えないよう、よく言い含めておく必要があった。
アラミスは真顔になって言った。
「ねぇ、このことは、他の人達には内緒にしておいた方がいいわよ」
「どうして?」
「皆が別れを惜しんで、この部屋に殺到するといけないから。そしたら大変でしょう?」
「ええ…でも、アンヌさんには喋ってしまったわ」
「な…なんですって!!!」
―よりによって一番知られてはマズい人に知らせるなんて…!
血相を変えたルネに、コンスタンスはなだめるように言った。
「大丈夫よ。アンヌさんは良い人だし、ここの修道院の人達だってそんないたずらに他の人を困らせたりはしないでしょう?」
「それは…まぁ…そうだけど…」
アラミスは口ごもった。彼女にどう伝えればいい?
「アンヌさんにもこの1ヶ月の間色々お世話になったから、黙って出ていくのも悪いと思って…。そうだ!明日アンヌさんが、私の出発前にささやかなお別れ会も兼ねて一緒に食事をしましょうって誘ってくれたんだけど、ルネさんも一緒にどう?」
「え…?ええ喜んで!」
―ミレディがコンスタンスのためにお別れ会…?
きっと事を起こすならそこだと睨んだアラミスは、一も二もなく承諾した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その夜、ミレディは部屋の中で、一人物思いにふけっていた。
―コンスタンスがここから出ていく…しかも明日…。
今日、修道院の回廊を掃除していたミレディは、院長室から戻ってきたコンスタンスとばったり会った。そこで、彼女がここから出ていくことを知った。
何でも明日、迎えの者がここにやって来るのだという。
―明日…なんて急なのだろう!
本来ならじっくり時間をかけてコンスタンスに取り入って―それこそ、自分に容疑がかからないほど仲良くなって―、戦争が終わって彼女がここを出ていく頃、ひっそりと殺す計画だった。
―ここから出ていくということは、リシュリューに居場所がバレたということだろうか。
護衛隊は間抜けな連中ばかりだが、リシュリューの密偵は良い仕事をする。リシュリューがフランスを負けに導くわけはない。この戦争はフランスの勝利で終わるであろう。勝利の喜びに沸く中恋人の訃報をダルタニャンの元に届けること―それが彼女にとっての復讐であり、その時の彼の顔を想像するとこの上ない悦びに浸れたのだが、そんな計画をおじゃんにしたリシュリューの密偵の有能さを恨めしく思った。
だが、殺害計画を変更するつもりはなかった。コンスタンスから見せてもらった手紙によると、ダルタニャンが迎えにくることがそれとなくほのめかされていた。復讐のタイミングは明日、ダルタニャンがコンスタンスを連れ出すためこの修道院に足を踏み入れたその瞬間!!
―ダルタニャンは恋人の死を目の当たりにしたとき、どんな顔をするかしら…?
ミレディは残忍な笑みを浮かべると机の抽斗の中から小箱を取り出した。修道院には薬草を育てるための農園があるが、小箱の中にはこの1ヶ月間、草むしりや水やり当番で農園を出入りした際にこっそり摘んできた薬草が入っていた。本来は薬として使われる植物でも、調合の割合を変えれば毒になる。
修道院内にある薬草の種類は把握している。調合次第で、この修道院では対応できない毒を作ることも、もちろん市販の解毒剤では解毒できない毒を作ることも可能だった。
ミレディは一人ほくそ笑んだ。
―見ているがいい、ダルタニャン…!
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<補足説明>
コンスタンスとミレディの夜の会談はコンスタンスの部屋で行われ、ミレディがコンスタンスに前回院長に語ったような過去を話し、宮廷の王妃側の主だった貴族の名前を出してコンスタンスの信用を得て、「これからもよろしくね!」っていう感じで、表向きは滞りなくかつ平穏に終わった…という感じです(もちろん隣の部屋ではアラミスがじっと聞き耳を立てている)。コンスタンスがミレディに王妃の使いからの手紙を見せるくだりも含めてちゃんとやりたかったんだけど、「早く原作アラミス出したいから余計な部分はカットカット!!」と回想&解説文でまとめてしまいました。
基本自給自足の修道院は医療行為も自分達で行っていたようで、薬草園備えているところもあったそうです。薬草の研究とかも行われていたようなので、品種改良とか新しい薬の開発とかもやってたんじゃないかな。原作ミレディも修道院育ちだったようなので、アトスの言っていた「あの女の作る毒には解毒剤がない」は、おそらくかつて修道院で薬草を育てたり薬を作ったりしていて薬学の知識が身についており、「市販の解毒剤が効かない毒を作ることができた」ということなのではないかと思っています。
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