「ねぇ聞いた?今度戦争が始まるんですって」
「うん、聞いた聞いた。イギリスとラ・ロシェルで戦うんでしょう?」
アラミスがベチューヌに来て半年が過ぎようとしていた。世俗から切り離されたここ修道院でも、世の中の動きは多少は入ってくる。
修道院の回廊を箒で掃きながら、アラミスは仲間の見習い修道女達の話に耳をそばだてていた。
何でも、ラ・ロシェルに立てこもった新教徒をイギリスが支援し、その制圧にフランス軍が向かうことになったのだという。
―戦争、か…。
アラミスは人知れずため息をついた。
―そういえばここに来る前にも、そんな噂が立っていたっけ。
ここに来てまだ1年も経っていないが、もう大分昔のような気がする。それほどこことパリとの時間の流れは大きく違い、穏やかでゆったりとしていた。
あれ以来、ミレディに目立った動きは見られない。こちらの正体に気づいたようにも見えなかった。
―長いヴェールで頭全体を覆っているから、意外と分からないのかも…。
何より、相手はアラミスのことを男だと思っているのだ。男子禁制の女子修道院に男がいるとは、普通誰しも思わないだろう。案外、他人の空似で片づけられているのかも知れなかった。
―まぁでも、用心に越したことはない、か…。
共同生活しているのだから丸っきり無関係でいることはできないが、なるべく関わらないようにしようと決意した。
幸い、部屋は離れているのだから、日ごろからそう接触することもない。
―皆、元気かな…。
今頃戦地に行くための準備をしているのだろうか。アラミスは、どうか皆が無事でありますようにと祈りを込めて、中庭に面した回廊の柱の間から、パリへと続く空を見上げた。
そんなある日のこと。
午前中の労働が終わり、自室で祈りを捧げていたアラミスは―修道院ではその日の労働や神学の講義が終わった後の自由時間は、自室や聖堂で各自黙想することになっていた―、隣の部屋の方から何やら人の話し声が聞こえてくるのに気が付いた。
―確か隣は空き部屋になっていたはず…。
誰か新しい人が来たのだろうかと扉を開けると、隣の部屋の入口の前に立っている修道院長と目があった。
「あらルネさん、騒がしかったかしら。お祈りの邪魔をしてごめんなさいね」
人のよさそうな尼僧院長がにこやかに言う。院長の背後には、今日からこの部屋に住むことになった若い女の姿があった。
「あとで紹介しようと思っていたのだけれど、丁度良かったわ。こちらはコンスタンス・ボナシューさんよ。コンスタンスさん、こちらはルネさん」
院長は、アラミスと少女を引き合わせた。アラミスは口元が引きつりそうになったのをなんとか意志の力で抑え込んだ。
「はじめましてルネさん。今日からここにしばらく逗留することになったコンスタンスです。よろしくお願いします」
と言ってコンスタンスは深々とルネに頭を下げた。
「逗留…ですか?」
アラミスはコンスタンスに会釈を返すと、怪訝そうに院長を見た。
「ええ、そうです。あなたはまだここに来て半年だけど、ここの生活には大分慣れたでしょう?この方はまだ都からいらしたばかりで色々と不便でしょうから、部屋もお隣だし、何かあったら助けてあげてちょうだいね」
院長はこう言うと、2人に会釈して院長室に戻って行った。
「あの…逗留って、失礼ですけどどういう…?」
コンスタンスの荷物―といっても大した量ではないのだが―を部屋に入れるのを手伝いながら、アラミスは聞いた。
社会から隔絶された修道院は、時々スパイの一時逗留地や、政治的陰謀に巻き込まれた人の避難所としても利用される。今回コンスタンスが「入院」ではなく「逗留」という言葉を使ったのには、きっと何か訳があるはずだ。
「いいえ別に…しばらくここでご厄介になるという意味ですわ」
「そう…」
ひどく当たり障りのない答えに、パリで何かあったのだと確信する。同時に、それ以上突っ込んだことを聞くのは無理だと判断した。言って良いことなら院長が話してくれただろうし、いくら相手が尼僧だとしても、言ってはいけないことを気安く口にするような娘ではないことはアラミス自身良く知っていた。
それよりも何よりも、今は「当面の危機」を回避するのが先決だった。ただの逗留者に尼僧服の着用は義務付けられていない。さらにコンスタンスが本名を名乗っている以上、ミレディに見つかるのは時間の問題だった。
志願期も残り半年。あと半年無事に過ごせれば修錬女になれる。問題はできる限り起こしたくない。自分のためにもコンスタンス自身のためにも、コンスタンスには穏便且つ速やかに、ここから出て行ってもらわなければならなかった。
「ねぇ、パリからいらしたんでしょう?あとで今の都の様子、教えてくださいらない?」
ずっと閉めっぱなしだった部屋の空気を入れ替えるために、窓を開けてやる。ここに来た理由が話せないなら、せめて今のパリの状況だけでも把握しておきたかった。
「いいですよ。喜んで」
「着いたばかりでお疲れでしょう?夕ご飯の時間になったら呼びに来るから、それまでゆっくり休んでらして.ね」
「ありがとう、ルネさん。実を言うと何時間もずっと馬車に揺られっぱなしだったから、ヘトヘトなの」
「じゃあ、窓のカーテンだけでも閉めておくわね。明るすぎて眠れないといけないから…」
カーテンさえ閉めておけば、少なくとも窓から彼女の姿が見えることはない。まだ何の状況も把握できていない状態で、ミレディに彼女の存在を知られるのは避けたかった。
アラミスはコンスタンスに軽く会釈をすると、自室に戻って行った。
◇◇◇◇◇◇
この日、パリからやって来た逗留者の噂は、瞬く間に修道女達の間に広まった。
元々噂好きな女の集まりである上に気晴らしの少ない修道院生活、しかも神に仕えるためやってきたのではなくあくまで一時的な逗留であり、尚且つ平時ならまだしも戦争が起きている時の逗留となれば、興味を引くのは当たり前だった。
―コンスタンス・ボナシューだって…?
食堂で、仲間の見習い修道女達と食事をしながら談笑していたミレディは、その名を聞いて思わずせき込んでしまった。
「アンヌさん、大丈夫?」
「どうしたの?」
一緒にいた2〜3人の見習い修道女達が声をかける。
「な…何でもないわ…ちょっと聞いたことのある名前だったから、びっくりして…」
「お知り合いなの?こんな何もないところで偶然知り合いに会えるなんて、きっと神様の思し召しだわ」
「ねぇ、あそこに座っているから、挨拶してきなさいよ」
ミレディは指さされた方を振り返った。遠くの方の席に、あのルネとかいう見習い修道女がいる。そのすぐ傍に、コンスタンスの姿があるのを見止めた。
ミレディの顔に、一瞬動揺の色が浮かぶ。
「ねぇどうしたの?行かないの?」
仲間の一人に声をかけられ、ミレディは我に返った。
「あ…やめておくわ。どうやら人違いだったみたい。見たことない顔だもの」
「あら、そうなの?」
「きっと似ている名前の人と勘違いしたんだわ」
そして「冷めないうちに食べましょ」と仲間の修道女達を促すと、ミレディはそれっきり話題には加わらず、深いもの思いに沈んでいった。
◇◇◇◇◇◇
スイスで雪崩に巻き込まれ、何とか雪の塊から這い出たものの、その後力尽きて倒れてしまった。
気が付いたら、近くの女子修道院にいた。どうやら雪崩の音に気付いて駆け付けた修道女達の手によって、担ぎ込まれたらしい。
カルメル会の修道女だという彼女らは他の修道院との交流のためスイスに来ていたが、間もなくフランスに戻るのだという。もしかしたらダニエル侯爵やメディシス皇太后の追手―もしくはあの銃士共―が自分を探しに来るかもしれない。スイスにこれ以上留まっているのは危険だと判断したミレディは、一緒にフランスに着いていくことにした。
行先はパリから遠く離れたベチューヌという村。そこなら昔の知り合いに出くわすこともない。ここで人知れず傷を癒し、再起を図るつもりだった。
だが、優しい尼僧院長や修道女達に囲まれた穏やかな修道院生活は、彼女に何も知らなかった少女だった頃を思い起こさせた。世の中の悪意も偏見も知らず、ただひたすら幸せだったあの頃―。
今までどんなにやり直そうと思ってもできなかった生活がここでは手に入る。このままこの修道院に留まり、復讐も憎しみも何もかも忘れて本気で神に仕えよう―そんな気持ちになっていたのだが…。
コンスタンスの姿を見た瞬間、そんな思いは見事に吹き飛んだ。自分が最もよく知るどす黒い感情が頭をもたげてくる。振り払いたくても振り払えない、復讐の炎。これまでの自分の半生を彩って来た、憎しみの念…。
ミレディは心の中で、吐き捨てるように言った。
―意志の弱い女だと、嗤いたければ嗤うがいい!所詮私には、こんな生き方しかできないのだから…。
泣きたいほどの暗い情念に突き動かされ、彼女はある計画を思いつく。
―そのためにはまず、あの小娘(コンスタンス)に取り入らなければ…。
◇◇◇◇◇◇
翌日、朝のミサが済むと、ミレディはすぐに院長室に向かった。目の下のほくろは、万が一コンスタンスに会っても気づかれないよう、化粧で入念に隠してある。院長に会いに行ったのは、院長の紹介を通して怪しまれずにコンスタンスに近づくためだった。
「コンスタンスさんのことを知りたい?」
院長が怪訝そうにこちらを見た。
「ええ。以前私がパリにいたとき、お見かけしたような気がするのです。その女性も確かそのようなお名前だったと思うので…もしかしたら知り合いの方なんじゃないかと思って」
「あら、そうなの…?」
院長は口を割ろうとしない。いきなりこんなことを切り出されて、警戒しているのだ。そもそも訳ありの逗留者のプライバシーなど、例え同じ院内にいる尼僧であっても、おいそれと話してよいものではない。ミレディもそのことは良く分かっていたが、何とかして口を割らせようと必死に話しかけた。
「私、以前パリで王宮に出入りしていたことがありますの。その時あの方をお見かけしたような気がするのです。確か、王妃様のすぐそばにお仕えしていた方だったと…」
「まぁあなた、王妃様をご存じなの?」
「ええ。何度か直接お言葉を頂戴したこともありますわ」
王妃と直接話をしたことがあると聞いて、院長がようやく警戒を解いたのをミレディは見て取った。
「それから私、国王陛下主催の舞踏会にも参加したことがありますの。あの時の王妃様の衣装はとても素敵でしたわ。確かコンスタンスさんのお父様がご自分で作られたとか」
「そう、良くご存じね」
「彼女のお父様はとても腕の良い仕立て屋で、国王陛下のお召し物もお作りになられるペルスランさんも一目置いていると専らの噂でしたの。お父様の代から王妃様から篤い信頼を寄せて頂けているなんて、なんて果報なお嬢さんなのだろうと、皆さん口々に仰っておりましたのよ」
ミレディはそこで軽く息継ぎをする。一気に喋ったので呼吸を整えるためと、院長の様子を伺うためだ。自分に対する警戒は解いたが、返事は相変わらず相槌程度。彼女のことについて、そう簡単に話すつもりはないらしい。
このままいくら自分が彼女のことを知っていると話しても、院長が気を許して口を開いてくれる保証はない。何としてもコンスタンスがここに来た理由を突き止め、彼女に取り入る口実を得なくては。
ミレディは涙に訴える作戦に出た。
「それなのに、いつもいつも枢機官様にいじめられて…とてもかわいそうな方って思っておりましたの」
「枢機官様は、理由もなく他人を迫害する方ではないでしょう?」
「枢機官様は王妃様を嫌っておいでです。その王妃様への忠勤に励んでいることが、迫害の大きな理由なのです。今までもスパイやら何やらの疑いで捕まって、とてもひどい目に遭っていたと聞いておりますわ」
ミレディは首飾り事件や鉄仮面事件でコンスタンスが経験した迫害の数々―ほとんどは自分がやったのだが―を、微に入り細をうがち語り出した。
「もしかしたら、今回ここにいらしたのも、枢機官様の迫害を受けてのことなんじゃないかと思っておりますの」
「しっ!そんなこと、滅多に口にするものではありませんよ!」
「お気の毒なコンスタンスさん。あんなに一生懸命王妃様にお仕えしていたのに、こんなところに追放されて…王妃様は一向にお守りして下さらないなんて…」
と言ってミレディは、よよよと泣き崩れた(ふりをした)。
「まぁまぁ、そんなに泣くものではありませんよ、アンヌさん。あなたは何か勘違いしていらっしゃるわ」
院長はミレディを抱き起した。そしてミレディの迫真の演技にほだされ相手を信用しきってしまった院長は、とうとう喋ってしまった。
「あの方がここに逗留することになったのは、あの方がお仕えしているご主人様のお計らいなのよ」
「まぁ!王妃様の…!?」
「今度イギリスと戦争することになったでしょう?かつてイギリスのさるお方と、王妃様との関係が噂されたことはあなたもよくご存じのはずね?それで今回も、お気の毒な王妃様にまたイギリスとの内通の疑いがかけられたのです」
「まさか!」
「もちろんただの噂なのでしょうけど、王妃様は今回の戦争にはいたく反対されていたそうだから、そのせいもあるのでしょう。そして王妃様にお仕えしているコンスタンスさんに、スパイの嫌疑がかけられたのです」
「まぁなんという…!」
「そこで王妃様は彼女の身を案じ、ほとぼりが冷めるまでこの修道院に身を隠すよう、お命じなったというわけなのですよ」
やはりそういうことだったか、とミレディは思った。王妃をはじめとする反戦争派を排除するため、バッキンガム侯爵と王妃のかつての関係を持ち出して内通の嫌いをかけ、腹心のコンスタンスをその橋渡し役としてでっちあげたのだ。コンスタンスを捉えて強引に自白を迫るつもりだったに違いない。リシュリューのやりそうなことだ。
ミレディはもうひと押しとばかり、天使のような声で語りかけた。
「あの方の恐ろしさは、私よく存じ上げております。かくいう私も、かつて枢機官様の迫害に遭っておりました」
「まぁあなたが?どうして?」
「自分にも分かりません。きっと誰かに陥れられたのですわ。私がスイスにおりましたのも、実を申しますと枢機官様の追手から逃れるためでした」
「まぁまぁ、そうでしたの、お気の毒に…」
院長はそう言って十字を切った。
「私、あの方とはお友達になれそうな気がいたしますわ」ミレディが言った。「枢機官様の迫害を受けた者同士、通じ合うものがあると思いますの」
「そうね。こうして同じ屋根の下に集えたのもきっと神様のお導き。あなたの様な方が話し相手になってあげれば、きっと心強いことでしょう。今晩にでも、何なら昼間の内にでも、あなたの都合の良いときにご紹介してあげますよ」
ミレディはやった!と心の中でほくそ笑んだ。
「なんともったいない…!では今晩にでもお願いいたしますわ」
できれば早めに会いたかったが、本人に直接会うまで色々練らなければならないこともある。リシュリューの手から逃れるためにここにいるのなら、戦争が終わるまではここから出られないはず。時間はたっぷりあるのだ。焦ることはない。
ミレディは院長にお礼を言うと部屋から出て行った。復讐の快感に心地よく心が揺さぶられているせいか、心なしか足取りが軽い。
廊下からミレディの姿が見えなくなると、アラミスが物陰からそっと姿を現した。院長室へ向かう彼女を見かけ、こっそりついてきたのだ。
アラミスは、院長室から出てきたミレディの口元が一瞬、残忍にゆがんだのを見止めた。
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<補足説明>
バッキンガム公暗殺とラ・ロシェルの戦いの年代が大分違うことになっちゃってるけど、そこはスルーでお願いしますm(_ _)m。修錬女というのは修錬期に入った修道女さんのことね。
コンスタンスの修道院での服装…原作では尼僧(ヴェールなし)の格好してたけど、アニ三ではポールロワイヤル修道院に一時預かりになった時は普段着だったんだよね。なので普段着ってことにしてしまいました。もちろんヴェールもなし。実際修道院への一時逗留者の服装ってどうだったのか良く分からないけど…でもあの格好って今後この修道院に留まって神様に仕えるための証でもあるわけだから、出ていくこと前提の一時滞在の場合は着なくて良いのでは…という気もするんだよね。まぁ場所柄あまり派手派なのはやっぱNGなんでしょうけど。
「スパイの一時逗留地や政治的陰謀に巻き込まれた人の避難所としての修道院」は、原作やアニ三、ひとみ先生の「ダルとミラディ」から(まぁアニ三のは避難所じゃなくて追放先だったけど…)。実際こういう使われ方してたのかどうかは分からないんだけど、一般人でも精神的な慰めと休息のために一時逗留したり、旅人を宿泊させたりすることもしてたみたいだから、きっとその延長線上なんだろうなー。ちなみに今でもあるみたいよ。宿泊可能な修道院。
一時逗留者と尼僧の生活空間が一緒でいいのかという素朴が疑問があるんだけど、アニ三では一緒だったからいいや!!ととりあえず開き直りました。実際には外部の人用の宿泊施設っていうのが別にあるようなんですけど。身を隠すなら人の出入りが激しい来客者宿泊用建物より、出入りが制限されている尼僧の生活空間の方が安全って気もするし。
修道院の食堂…原作ではアラミスがバザン呼びつけて料理持ってこさせたり、ひとみ先生の「ダル&ミラディ」ではコンスがケティに食事作らせて持ってこさせたりしてたんですが、なんかこういう集団生活送るところってのは食堂があって、決まった時間に皆集まって食べてるイメージがあるんだよね。探してみるとちゃんと食堂のある所あるので(いつの時代からあるものなのかは分からないけど)、食堂で食べる人は食堂で食べて、自室で食べたい人は自室で食べてたりしたのかなーって思う。個人的には、修道院には「全寮制の男女別学学校」っていうイメージを抱いてます。
カルメル会って本当に戒律が厳しいらしく、外部の人と面会するときも告解室のようなところで面会して顔を見せないようにしていたとか何とか…。修道女同士でも会話するときはハンカチか何かで顔隠して話すなんて話もどこかで読んだ気がするんだけど、それはどんなに探しても出て来なかったから私の記憶違いかも…。もし本当だとしたらこの話自体全然成り立たなくなるんだけど(笑)。っていうかダル物読んでもそんな感じは全然しないんだけどね。
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