すり替わったアラミス―別離③

アラミスの部屋は案の定荒らされていた。机の中に大切に閉まってあった手紙は散乱し、本棚からは本が何冊も床に落ちている。衣装箪笥からもドレスが何着か抜き出されていた。

これを一晩で片づけるのか、と思うとアラミスは軽くめまいがしたが、とにかく片づけなければ休むこともできない。アラミスは軽くため息をつくと、ダルタニャンに言った。

「さっきは嫌なものを見せてしまって悪かったね。今日はもう遅いし、コンスタンスも待っているだろうからお帰りよ」
「いや、コンスタンスは今日は宮廷に泊まってくるって言ってたから大丈夫だよ。…これ1人で片づけるの大変だろう?手伝うよ。2人やれば早いと思うし…」
「…そうか、ありがとう」

ダルタニャンは落ちている本を拾うと一冊一冊本棚へと納めていった。正直今のアラミスを一人にしておくのは忍びなかった。さっきの件で大分まいっているのが分かっていたからだ。それに、おそらくアンリは今夜はもう帰って来れないだろう。狙われていると分かった以上、この広い屋敷に一人、アラミスを残しておくのは心配だった。

本を片づけながら、ダルタニャンは思案した。今回の黒幕は十中八九ミレディと見て間違いない。でもなぜミレディが…?彼女はスイスで雪崩に遭って死んだはず。尤も、自分だって雪崩に巻き込まれて無事だったのだから、彼女が生きていても不思議ではないのだが…。

ただ、彼女が執拗に追いかけていたのは自分だったはずだ。なぜ今回に限りアラミスを…?

考えてみれば、鉄仮面事件も皇太后の機密文書事件も、最初に気づいたのはアラミスだった。もしかしたら復讐を誓う彼女が、ターゲットをアラミスに変えたのかもしれない。

ふっと部屋の中が温かくなった。アラミスが暖炉に火をともしたのだ。暖炉の火に、先ほどまで机の周りに散乱していた手紙を一通一通焼べていく。ダルタニャンには、その肩が心なしか震えているように見えた。

「アラミス、それは…?」
「アトスとポルトスからの手紙だよ。全く、こんなものまで証拠にされちゃうなんてな…」

考えてみればおかしなことだ。「兄」宛ての手紙が妹の部屋にあるのだから。家探しされて問い詰められれば、言い逃れはできないだろう。なぜもっと早くこのことに気付かなかったのか。迂闊だったとしか言いようがない。

「ねぇアラミス、俺思うんだけど…」ダルタニャンは意を決して口を開いた。
「やっぱりアトスとポルトスにちゃんと言った方が良いと思うんだ。2人ともきっと分かってくれる。君が本当は女性だと知ったからって、そんなことで壊れる友情じゃないはずだ。仮に君が反逆罪で捕まったとしても、俺たちはきっと助けに行くよ」

ダルタニャンの言う通りだろう。例え自分が今まで男と偽っていたことがバレたとしても、アトスもポルトスも、それでも友達だと言ってくれるはずだ。これまでとはまた違った形の友情になるかもしれないが…。それに自分が捕られたら、彼らは危険を顧みず助けに来てくれるだろう。だが…。

「それが…困るんだ…」アラミスは手紙を焼きながら、ポツリとつぶやくように言った。
「仮に私が捕まったとして…私を助け出して、その後はどうするんだ?リシュリューの罠にはまって逮捕されるのとはわけが違う。君たちだってお尋ね者になるんだ。フランスにいられなくなるかもしれない。それでもいいのか?」
「構わないさ!君一人に不幸を背負わせるくらいなら。俺たちはいつだってそうやって助け合ってきたじゃないか!」ダルタニャンは本を片づけていた手を止め、そんなの当り前だという風に言い返した。「例えフランス中を敵に回すことになったとしても、俺たちは絶対君を見捨てたりしない!」
「じゃあコンスタンスはどうなる?」アラミスは振り返り、どこか冷めたような視線をダルタニャンの熱い瞳にぶつけた。「君は今の彼女との生活を捨てられるのか?」

ダルタニャンは予想だにしなかった質問に一瞬言葉を失ったが、ややあって自信ありげに答えた。

「コンスタンスは、分かってくれると思うよ」
 

―それは男のエゴというものだよ、ダルタニャン。

アラミスは呆れたようにため息をついた。この状況に陥った時というのは、自分が女だということが世間に知られたときだ。当然コンスタンスも知っているということになる。たった一人の女のために、夫が妻との今の生活を捨てたりしたら、コンスタンスはどう思うだろう?仮に自分が彼女だったらどういう行動に出るのか、考えただけでも恐ろしい。

事はダルタニャンが思っているほど単純ではないのだ。若く純粋なダルタニャンは、おそらく「友情」の美しさに酔いしれて事の重大さを分かっていないのだろう。

大体、フランスにいられなくなったとしてどこに行くというのだ?私と兄だけならスペインに行くこともできるだろう。だがアトスとポルトスとダルタニャンは?彼らもスペインに連れて行くのか?今の生活や領地や爵位を捨てさせて?だたでさえ今回の件に関しては兄にだって相当の負担を強いているのだ。「自分と一緒に彼らもスペインに連れて行ってほしい」「一生生活に困らないように領地や爵位を保証してくれるよう、スペイン国王にとりなしてほしい」など、どうして頼むことができるだろう。妹で被後見人の自分一人ならともかく、兄は本来赤の他人であるあの3人にそこまでしてやる義理はないのだ。

それに万が一―あくまで万が一だが―スペインに渡る途中、仲間の一人でも命を落とすようなことがあったら…?もしそんなことになったら耐えられない。われとわが身を一生呪うことになるだろう。


アラミスの沈黙を了承の意ととったダルタニャンは、アラミスの腕をとり「だからさ、アラミス…」と話しかけた。何も心配なんかすることないよ、と言おうとしたが、アラミスはその腕をさりげなく振りほどき、言った。

「とにかく、君たちはフランスの貴族でフランス国王の臣下で、国王陛下に忠誠を誓った銃士なんだ。そんな君たちに、犯罪者の汚名を着させるわけにはいかない」
「じゃあ、アトスとポルトスにはもう一生何も言わないつもりなのかい?」
「ああ」アラミスは燃えていく手紙を見つめながら言う。
ダルタニャンはたまらなくなって叫んだ。

「君はもう誰からも認識されなくなるんだぞ!アトスからもポルトスからも!街中で会ってもどこかの貴族の屋敷で会っても、誰も君とは気づかない!君は、君じゃない人間が“アラミス”って呼ばれているのをただ見ているだけになるんだ!それで本当にいいのかよ?」

「…それが当初の目的だ」アラミスは決然と言い放った。

そもそも今回のことは、明らかに自分に非があるのだ。叔父にフランソワの主人のことを言わなければ、フランソワが殺されることもなかったかもしれない。仇を討つにしたって、わざわざ銃士になどならず、叔父の言いつけ通り別の男―例えば宮廷と太いパイプを持つような―と結婚して、宮廷に潜り込む方法だってあったはずだ。その方がどれだけ後々の面倒が少なかったことか。

アラミスはもう、自分の軽率な行動のために大切な人が犠牲になるのを見たくはなかった。仲間内の誰かが犠牲になるくらいなら、自分一人が処刑なり追放なりされた方がはるかにマシのように思えた。例え一生彼らから友情を示してもらうことができなくなったとしても、それで彼らの生活を壊さずにすむなら、その方がずっといい。

ダルタニャンはもう何も言い返せなくなった。アラミスがしていることは間違っていると思う。少なくとも、アトスとポルトスには伝えるべきなのだ。だが…アラミスの行動が自分たちとの友情を慮ってのことなのなら―その気持ちは尊重しなければと思った。
 

◇◇◇◇◇◇◇

部屋の片づけが終わったのは、東の空が白々と明けてきたころだった。出勤までにはまだ時間があったが、もう充分だからと屋敷に残るのを丁重に断られたダルタニャンは厩でアンリに会った。

アンリはダルタニャンの顔を見るなり「まだいたのか…」と不愉快に思ったが、そんな感情は表に出さなかった。

正直な話、アンリは今ダルタニャンの顔をあまり見たくなかった。ミレディは四銃士の中でもとりわけダルタニャンを目の敵にしていたと聞いている。おそらく彼を追っている内に、この屋敷の存在を知ったのだろう。ダルタニャンと三銃士と、貴族社会を恨む彼女にとって、「銃士隊に女がいた」というのは彼らを貶めるこの上ない口実となる。今回ルネの居場所と秘密が漏れたのは、彼がしょっちゅう屋敷に来ていたのと無関係ではないように思えた。

「帰るのかい?」アンリはダルタニャンに声をかけた。
「うん」
「ルネはどうしている?」
「部屋の片づけ終わって、疲れたみたいで寝てるよ」
「そうか…」
アンリはややあって口を開いた。
「ダルタニャン、もうここには来ないでもらいたい」
「え?」
「近くフランスを発つことにした。行き先は言えない。いつ発つのかもだ。理由はわかるね?」

秘密を嗅ぎつけようとしている奴に居場所が割れてしまった以上、アンリとルネにとってもはやこの地は安住の地ではない、ということなのだろう。

一抹の寂しさを抱え、ダルタニャンは聞いた。
「でも、ここは君たちにとっては故郷なんだし…いつかは帰ってくるんだろう?」
「そうだな…まぁ、少なくともリシュリュー枢機卿とルイ13世ご存命の間は帰って来れないだろうな」

ルイ13世が生きている間…?国王とアラミスの年齢差を考えると、それはもう「一生」に近いのではないだろうか。ダルタニャンは急に不安な気持ちでいっぱいになった。

「何か…俺にできることはないかな」
「君に?」アンリはダルタニャンの胸ぐらを掴むと、侮蔑の感情を隠しもせずに言った。「せいぜい秘密が漏れんよう、その口をつぐんでいてもらうことだな」

アンリは言っしまってから、感情を表に出し過ぎたことを恥じた。屋敷に遊びに来ることも、屋敷の中でルネのことを「アラミス」と呼ぶことも自分だって容認していたではないか。自宅だからと気を緩めすぎたのがそもそもの敗因なのだ。

だが、一度露にしてしまった感情を撤回する気にもなれなかった。アンリは突き放すようにダルタニャンから手を放すと、屋敷の中へと入って行った。

アンリの最後の一言は、ダルタニャンの心に深く突き刺さった。地位も権力も財力もない君に、一体何ができるというのだ―そうはっきり言われた気がしたのだ。確かに、今のアラミスを守っているのはデルブレー卿の底の知れなさ―彼の地位と権力と、それに伴う財力―なのだ。それを思うとどうにも悔しくて仕方がなかった。友達などと言っても、結局自分には何もできないのだ。

ダルタニャンはいたたまれない気持ちになってその場を後にした。パリへと疾走しながら、ロシナンテが時々気遣わしげな表情で背中のダルタニャンを見る。

強くなりたい、とダルタニャンは思った。アラミスが妙なことで気をもまずに済むように、また4人一緒に笑い合える日が来るように―。

 


それからしばらくして、アラミス達はフランスから姿を消した。 


~終~


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