皇太后の機密文書事件から半年ほど経った頃、フランスとスペインの間では戦端が開かれていた。
別に「フランス領土の一部をスペインに割譲する」という、例の機密文書の内容が外部に漏れていたわけではない。もともとは国境地帯でよくある小競り合いだったのだが、互いの領土拡大と内政干渉に反発する形で西仏両国が国境地帯に軍隊を派遣する形へと発展したのだ。
戦局が一進一退を繰り返す中、フランス軍の士気を高めるため、またスペイン軍にフランス国王の威厳を見せつけるため、フランス国王及び近衛銃士隊も前線に向かうこととなったのだ…が。
「あ〜ヒマだ…」
ポルトスは、フランス軍の陣営近くにある酒場のテーブルに突っ伏してため息をついた。なにせ戦局は膠着状態、前線まで来たは良いが、何もすることがないのだ。
華々しく武功を上げることを期待して来た身にとっては、拍子抜けだと言わざるを得ない。
仲間の3人も、同じようにため息をついた。
「こんなんだったらまだパリにいた方が良かったよ。そしたらコンスタンスと一緒にいられたのに…」とダルタニャン。
「まぁ、逆に平和で良いではないか」アトスが酒の入ったコップに口をつけながら言う。
「だがこう何もすることがないと、身体が鈍ってしまって、いざという時困ってしまうぞ!あ〜何かこう…血沸き肉躍るような楽しいこと起きればいいんだがな〜」
ポルトスがそう言った時、隣のテーブルで酒を飲んでいたスイス人兵の一人が声をかけてきた。
「銃士のみなサン、ヒマそうアルね」
見ると大分出来上がっている。
「今、ここで、面白い遊び、流行ってルよ」
「遊び?」
「スペイン陣営の方に張り出している堡塁、あるね。あそこにフランス軍の旗、立てる。立てた部隊、一番強いね」
スイス兵は酒場の窓から遠くの方に見える丘を指さした。
「へぇ〜そんな遊びが流行ってるのか、知らなかったなぁ」
「銃士隊、最近来たばかり。知らなくても無理ナイ」
「しかし、あそこに旗なんて立ってないぞ?」
「あそこ、スペイン兵、いっぱいいる。当然、妨害遭う。妨害、激しい。なかなか、旗、立てられない」
「ふぅ〜ん」
「リシュリューの護衛隊、この間あそこ行って、返り討ちあってきたネ」
4人の銃士の目が、きらりと光った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ぶわっかも〜〜〜〜ん!!!」
銃士隊の宿営地に、トレビルの怒声が響き渡った。
「命令も受けていないのに勝手な行動をとり、しかも一人行方不明とは何事だ!」
翌日、4人は件の堡塁へと向かった。スペイン兵の反撃に備え、マスケット銃も携えて。装備は万全だった。
目的地へは難なく着くことができた。そこへフランス軍の旗を立て、陣営に戻ろうとした時だった。背後からスペイン兵が攻めてきたのだ。応戦しつつ何とか陣営に戻ってきたのだが、アトス、ポルトス、ダルタニャンはその時になって重大なことに気が付いた。
アラミスの姿が見えなかったのだ。
いつの間に逸れてしまったのか。戦闘に夢中で気が付かなかったのか。途中、あれほど激しかった銃弾の嵐がふいに止んだときがあったが、まさかその時捕えられてしまったのか?
トレビルの怒声に、3人は返す言葉が見つからなかった。
「お前達には謹慎を命じる。各自宿で大人しくしているように」
「そんな!助けに行かせてください、アラミスを!」
「そうだ!堡塁の方にアラミスの死体はなかった!捕えられて生きている筈だ!」
「ダルタニャンにポルトス!勝手な行動は慎めと言ったはずだぞ!」今にも外に飛び出しそうな二人を、トレビルが一喝した。
「では隊長、彼を助けに行く命令を下さい」アトスが言った。「彼はとても優秀な銃士です。この戦争に勝つためには彼の力が必要…」
「では問うが、どこに捕えられているのかも分からずどうやって助けに行くつもりなのかね?」
「それは…」
3人は言葉に詰まった。堡塁の向こうはスペイン領、土地勘だってない。シャトレの牢から脱獄させるとか、ロシュフォールの屋敷や目の前に聳える要塞に捕えられている仲間を助け出すのとは、わけが違っていた。
「これ以上優秀な銃士を失うわけにはいかん!この話はこれで終いだ。お前達は命令があるまで、宿で待機していること!」
トレビルの有無を言わさぬ態度に、3人は従わざるを得なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「畜生…隊長の分からずやめ…!」
宿に戻った後、ポルトスは力まかせに壁を殴りつけた。
「落ち着けポルトス。元はと言えば、スイス兵の話に乗った我々が悪い」
「しかし…!」
「君だって隊長の仰ることは尤もだと思ったのだろう?悔しい気持ちは私も同じだ」
「しかし…!」
「何も隊長はアラミスのことを見捨てろと言ったのではない。捕えられている場所の目途が立ったら、救出を許可してくれるはずだ」
「……」
「それにアラミスのことだ。無事に抜け出して、そのうちひょっこり戻ってくるかもしれん」
「そ、そうだな…」アトスの言葉に、幾分気持ちを持ち直したポルトスが言った。
「でも、もし拷問に遭っていたりしたら…?」ダルタニャンが不安そうに聞く。
「何、拷問を受けたからといって、こちらの情報を敵側に渡すような男ではなかろう」
「それはまぁ…そうだけど…」
アトスの言っていることはダルタニャンも良く分かっていた。アラミスは例えどんな責め苦を受けようとも、こちらの情報を敵に渡すような奴ではない。
だが、ダルタニャンが心配しているのは、もっと別のことだった。
―もし服を脱がされて、女だってバレたら…?
そこから先は考えたくなかった。戦場で捕まった女性が、敵からどういう扱いを受けるのか、ダルタニャンだって知らないはずはない。
本当は今すぐにでも助けに行きたい。が、確かに隊長の言う通り、闇雲に探しても見つかる当てはない。
今はアトスの言う通り、隊長から正式に救出の命令が出るのを待つか、アラミスがひょっこり自分から戻ってきてくれるのを願うしかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
スペイン、マドリード市内にある小さな屋敷。その一室で、シュブルーズ公爵夫人はベッド脇に備え付けられた椅子に腰かけながら、目の前に横たわる金髪の女性をまじまじと見つめていた。
「まさかこんなことがあるなんて…」
言いながら、彼女は「ほう」と一つ、ため息をついた。その斜め向かいには、長い黒髪を持つ美しい顔をした男が、難しい顔をしてベッドに腰掛けていた。
フランス軍との戦闘地帯で男の格好をした女が捕えられたとの情報が彼女の元にもたらされたのは、ほんの数日前のことだった。
その情報をもたらしたのは、彼女の恋人のデルブレー神父―今、彼女の前で難しい顔をしてベッドに腰掛けている男―だった。シュブルーズ夫人はフランス国内に敵が多く、追手の目を晦ますため男装して移動することもあったため、彼は捕えられた女性が夫人の仲間なのではないかと思ったのだ。
だが「男装した女」だけでは何とも判断し難い。夫人に心当たりはなかったが、もしかしたら自分に会いに来た王妃の使いかもしれないし、本当に自分の知り合いかもしれない。そこで顔だけでも確認しようと捕虜収容所に二人でこっそり忍び込んだのだが…。
捕えられている人物の顔を見て、夫人は「あっ」と声をあげそうになった。一糸まとわぬ姿で牢の中で気を失っているのは、パリで有名な三銃士の一人、アラミスだったからだ。まさかあの銃士が女性だったとは…。
神父の方も夫人と同じく衝撃を受けていた。いや、殊によったら夫人よりもっと強い衝撃を受けていたかもしれない。8年前に行方知れずとなり、折に触れ行方を探していた妹と、まさかこんなところでこんな形で再会しようとは思いもよらなかったからだ。
二人は混乱する頭の中を必死に整理し、何とか牢番を説き伏せて彼女を解放することに成功した。気を失ったままの彼女の汚れた身体を拭いて毛布で包み、馬車に乗せて屋敷に連れ帰り、寝間着を着せてベッドに運んだのは、つい先ほどのことだ。
「ねぇアンリ、彼女、本当に貴方の妹なの?」
夫人は恋人の名前を呼ぶと、アラミスの頬にかかる髪を優しくかき上げた。アラミスは金髪青目、アンリは黒髪黒目。これで兄妹とは、にわかには信じられなかった。
「妹です」
「こんなに似てないのに?」
「同じこと何度も言わせないで下さいよ、マリー」
そのときふと、ベッドの中でアラミスが苦しそうにもがきだした。
「う…いや…離して…」
「ルネ!?」アンリが心配そうに妹を見る。
「あ…や…いやぁぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴と共に、アラミスは弾かれたように起き上がった。途端に胃からすっぱいものが逆流してくる。シュブルーズ夫人はとっさに、サイドテーブルに置いてあった洗面器を彼女の前に差し出した。アンリが背後から背中をさする。
ひとしきり吐き終わった後、アンリはハンカチで妹の口元をぬぐってやると、ゆっくりと彼女の身体をベッドに横たえさせた。
「急に起き上がったから、身体がびっくりしたんだろう。可哀想に…」
吐瀉物を見ると薄黄色い液体だけで、もう何日も食事をとっていないのが分かった。
シュブルーズ夫人は、荒い呼吸を繰り返している彼女の頭をそっと撫でると、母親が子供を慰めるような優しさを込めて言った。
「よほど酷い目に遭ったのね。でももう大丈夫よ。ここには貴女に危害を加える人は誰もいないわ。今はゆっくりとお休みなさい」
夫人の言葉に安心したのか、アラミスは再び深い眠りへと落ちていった。
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