「は?イギリスに行く??」
ルネはいきなり素っ頓狂な声を上げた。今朝方アトスの使いが来て一旦パリに行った兄が、帰って来るなり妙なことを言いだしたからだ。
「イギリスが今どんな情況にあるのか、分かって言ってるんでしょうね?」
涼しい顔をして自室に戻ろうとする兄の後を追いながら、ルネは金切り声をあげた。
「今イギリスは革命の真っ最中にあるのよ!クロムウェル率いる革命軍が国王を王座から引きずりおろし、処刑しようとしてるって聞くじゃない?そんなところに行くなんて…!」
「頼まれたんだから、仕方ないだろ?」
アンリはパリに行ってからこれまでの顛末を話した。曰く、アトスの友人でイギリス貴族のウィンター男爵が、イギリス国王チャールズ1世のフランス亡命を許可してくれるようマザランに頼みに来たのだが、断られたのだという。そこで男爵はせめて国王軍への加勢にと、アトスに声をかけたのだ。かねてよりアトスから彼の3人の友人の話を聞いていた男爵はダルタニャン、ポルトス、アラミスにも声をかけてくれないかと頼んだのだが、残念ながらダルタニャンとポルトスはマザランに仕えている身。マザランの意に反することに巻き込むことはできない。そこでアラミスに声がかかり(朝の使いはその呼び出しだった)、3人で既にフランスに避難しているアンリエット王妃とその王女にお目にかかり、国王を助け無事フランスに連れてくるよう正式に依頼を受けたのだという。
「ちなみに、ラ・フェール伯爵は嫌に熱心に引き受けていたぞ。『偉大なる原理を守るためなら、俺はいつだってそうする』って」
「彼はまぁ…そうでしょうね…」
「そして残念なことに、俺も結構乗り気だ」
「は?なんで??」
「お美しいアンリエット王妃に、優しい声で頼まれたら断れるわけないじゃないか」
ルネは頭がクラクラするのを感じた。どうして…どうしてこの男は、女性とくると見境なくこうなのだろう。革命の渦中のイギリスに行く―しかも劣勢著しい国王派として。勝てる見込みなどこれっぽっちもない。ルネは何とか思いとどまらせようと必死に追いすがった。
「大体、お兄様がイギリスに行ったら、フロンドの活動はどうするのよ!?」
「今こう着状態だし、別にいいだろう、俺がいなくても。レス大司教補の顔もいい加減見飽きたしな」
アンリは自室の扉に手をかけようとした。夜7時にラ・フェール伯爵と落ち合う約束になっているのだ。それまでに20通近くの手紙を書いて、着替えも済ませたかったのだが、
「そういうことじゃなくて!」妹が部屋に入らせまいと、扉とアンリの間に立ちはだかった。
「俺が死んだ時のことか?それなら心配無用だ。修道会はお前の力を高く評価しているから悪いようにはしないだろうし、アラメダの公爵領と叔父上が残してくれた男爵領の年金があれば、死ぬまで食いっぱぐれることは万に一つもないだろうからな」
「だから、そうじゃなくて!!」
「お前だったら行くんだろう?」
その言葉を聞いて、ルネはハッとした。確かに自分だったら、友人の頼みとあれば理由も聞かずについていくだろう。兄は自分の代わりに行ってくれようとしているのだ。
「ごめんなさい…」
ルネは申し訳ない気持ちでいっぱいになり、微かに目を伏せた。そんな妹を見下ろしながら、アンリは言った。
「別に構わないさ。俺は俺の意志で行くわけだし。それにどうやらこの件には、ミレディも関わっているようだからな」
「何ですって…?」
ルネの脳裏に、16年前フランスを後にしなければならなくなったあの時の出来事が蘇った。思わず身を固くする。
「ウィンター卿の話によると、クロムウェル側の使者がマザランと既に接触を図ったらしい。その使者がミレディの息子だということだ」
「確かにミレディは貴族…特にイギリス貴族を恨んでるし、イギリス国王は彼女の処刑命令を出したから反国王派として動いていても不思議ではないけど…でもなぜ息子?」
「さあ…母親が既に他界しているのか、それとも生きていて親子で国王に復讐しようとしているのか、その辺は分からないが、いずれにせよ16年前のことがあるからな。将来の禍根を絶つためにも、今度こそ息の根を止めてやるよ」
ルネが頷く。こういうときの兄は非常に頼もしい。
「だからさ、ルネ、ロングヴィル夫人のことよろしく頼むよ」
「え?なんで??」
「だってホラ、俺がイギリスに行っている間、彼女が俺のこと忘れたら困るだろう?」
「いやだからって、なんで私がそんなことを!」
「ご近所さんなんだからいいじゃないか。第一お前、友達いないし…」
「失礼ね!友達くらいいるわよ、友達くらい!!」
「へぇ…誰?」アンリが意地悪そうに聞く。
「スキュデリー嬢でしょ、ランブイエ侯爵夫人でしょ、ポーレ譲でしょ、ドービニェ嬢でしょ、グラースさんにメナージュさんにスキュデリーさん、ヴォワチュールさん、あとスカロンさんにレス大司教補…」
「全部俺の友達じゃないか」
呆れ顔で言われ、ルネはぐうの音も出なかった。確かにフランスに戻ってきてからこっち、ずっと兄と行動を共にしていたため「彼女自身の友達」というのは皆無に等しかった。そもそもかつての「彼女自身の友達」は今や「兄の友達」であり、自分の友達ではなくなっているのだ。
第一、今交友のある友人でさえ仕事上の付き合いなのだから、本当の意味での「友達」と言えるのか、甚だ疑問でもあった。
アンリがさらに言う。
「何がそんなに不満なんだか良く分からないが、お前の代わりに行ってやるんだから、お前だって俺の代わりに彼女の気持ちを繋ぎ止めておくことくらいしてくれたっていいじゃないか」
ルネは完全にむくれた。その件に関しては自分の意志で行くのだから気にするな、と言ってくれたのはついさっきのことなのに…。
「私、あの人嫌いなんだけど…」
「そうなのか?俺はお前たち二人は似てると思うんだけどな」
「どこが!?」
「ああ、確かに彼女はお前みたいにお転婆じゃあないなぁ」
「…ッ!!」
「とにかく彼女とは仲良くしてくれよ。彼女にもお前のことよろしくと言っておいたからさ」
妹がさらに不平不満を口にしようとしたとき、
「ああそれと、スペインがフランスの情報を欲しているらしい」
「スペインが?」ルネがふと、真顔になる。
「ダンケルクやランスでの負け戦が、よほど悔しいんだろう。反撃のチャンスか、フランスとの交渉を有利に進めるための情報が欲しいらしい。フランス国内の情勢を探り、それを逐一報告しろとのことだ」
アンリは僧服のポケットから、修道会からの手紙を取り出した。
「そういうことなら、彼女と仲良くしてやってもいいわ」
手紙を読みながら、ルネは不承不承承知した。ロングヴィル夫人はフロンドの乱の中心人物だ。彼女の周りには良くも悪くも人や情報が集まる。しかも王族とも近しい。彼女と接触していれば、フランスの政治的情報は何から何まで分かるのだ。
「情報はいつもの通り、暗号を使って修道会に送ればいいのね?」
「そういうことだ」
ルネが手紙をコルセットの中に仕舞い込む。アンリは妹の注意が自分から逸れたその隙に、滑り込むように自室に入った。
ルネは兄に言いくるめられ、逃げられたことに気付いたが、扉越しにどんなに抗議しても返事の一つも返って来ず(ご丁寧に鍵までかけられていた)、やがて疲れ切った彼女は、
「お兄様のバカ―!もう知らない!!」
と叫ぶと、自室へと引き返して行った。
〜終〜
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原作でのアラミスって、同じタイプの異性に対しては好意抱くけど、同性に対しては結構同族嫌悪的なところがあるから、アニ三アラミスもそうなんじゃないかなぁと思って書いたお話です。ルネさんとロングヴィル夫人の、表面上は穏やかなんだけど水面下で火花散らしている女の戦いみたいなのも書いてみたい気がする。しかしこの論理だとアニ三アラミスはシュブルーズ夫人とも仲悪そうだな。
あれ?「同じタイプの異性は好き」って、もしかしてブログの方に以前ちょろっと書いたレス大司教補×アニ三アラミスも結構アリだったりする?あーでも大司教補はダル物読んだ限りやっぱ小物感拭えないからなぁ、実際にはアリだったとしても私はイヤだ、あんな奴にアニ三アラミスは任せられん(笑)。
モードントとウィンター卿の設定は変えざるをえませんでした。まぁ仕方ないよね。これで「別離」のミレディの伏線、回収したってことにさせてもらっていいですか?え、ダメ?(笑)
最後のスパイ活動の件は、「手紙の行方」で三十年戦争のこと調べてるとき、「このタイミングでスペインからフランスに戻って来るって、まるっきりスペインのスパイじゃんw」って思ったのがきっかけ。そういやダル物でもラウルが参戦してましたよね。ランスの戦いに。
しかし原作でのアラミス、1部ではシュブルーズ夫人に忘れられてしまったのかも、と傷心のあまり出家しようとしてたのに、2部では長期間ロングヴィル夫人と離れ離れになることことも厭わずイギリスに行くなんて随分と変わったよねぇ、恋敵だって結構いるのに…とイギリス行き前のエピソード読むたびにしみじみ思うのでした。そうでなければきっと誰かに繋ぎを頼んでから出発したに違いない(笑)。
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