<異端者たちの聖夜>あとがき的な何か


やっちまったよユダ聖人説(爆)。私、聖書は物語として楽しむ分にはすごく好きで、特にユダがお気に入りなんですよね。裏切りから自殺までに至る彼の心境とか考えるともう、切なくてたまらなくなってくるんですよ。ユダ主人公にした話、2本くらい書ける自信あります。そのくらい好き。(ちなみにホントにあるんですよユダ聖人説。ユダの福音書も解読されてるし)


今回の話の、神学者の姪御さんの質問に対するアラミスの回答は、同様の命題に対する大学3年のとき(10年以上前だ)の宗教学の教授(牧師さん)の回答が基。元々の回答は「それを考えるのが信仰の始まり」みたいな感じだったと記憶しているのですが。

(余談ですが、この手の質問を信者の人にすると大抵、神学者の伯父さんのような回答が返ってきます。もしくは「あなたは悪魔の考えに取りつかれてしまった!神様はあなたのような人をお救いになりたいと考えている!ぜひ入信しなさい!!」とかなりすごい勢いで勧誘されたり、とか。)

で、なんで今回アラミスにこんなこと言わせたのかっていうと、私この人結構異端思想持っていると思うんですよ。クレーヴクールではイエズス会の坊さんに「その説は異端だ危険だ」と批判されてましたしね。イエズス会ってのは元々ローマカトリック教会の中でも革新的な考え方をする一派のようなのですが、その司祭に異端呼ばわりされるアラミスって当時としては相当リベラル…というか変わった考えの持ち主だったと思うわけですよ。

そのアラミスが、教会公認の思想の下でしか行動することが許されない正統派キリスト教界において、どうして最終的に叙階受けて司祭になって司教にまで上り詰めたのかが不思議なんですが、きっとクレーヴクールでの一件で「この人たちの前では例え自分の考えと相容れなくても保守的な考えじゃないと受け入れてもらえない」ってことを悟って、その後論文のテーマには比較的ウケの良い王道路線のものを選んだんじゃないかなって思うんだよね。

そんでもって他の坊主や教会の偉い人達のことは、「教会が公式に認めた考えの下でしか物事を考えられないバカな奴ら」って内心見下していて、「あいつらより俺の方が絶対世の中を上手く回せる」って思ってるんじゃないかなぁ。だから国王すり替えなんてこと考えたんじゃないの?って最近思うんだよね。

そして彼自身の持論は夜な夜な女の人にベッドの上で語っているという、そんなイメージ(笑)。それにこの人そもそもそんなに信心深くない…っていうか彼にとっての信仰心ってのは自分の野心を実現するためと女を口説き落とすための手段に過ぎないんじゃないの?って気がするんだよね。何せイエズス会の修道院長に「貴方の主張は女性受けはするだろうが…」って言われて大喜びしてたくだいだら…(笑)(褒められてないっつーの!)



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