すり替わったアラミス―はじまりの話



この日、ノワジー・ル・セック村では、まるで温和だった主の死を悲しむかのようにしとしとと雨が降っていた。

雨に濡れながら葬儀を済ますと、久しぶりに顔を合わせた親戚たちが、故人を偲んでおしゃべりをしながら三々五々に帰って行く。

そんな彼らの後姿を見送るアンリに、親戚の1人が声をかけた。

「いやはや、叔父上は残念でしたなぁ。まだお亡くなりになるような齢ではないと思っていたのに…」
「すべては主の思し召しです。二親を亡くした我ら兄妹を引き取り、領民達にも慕われていた慈悲深い叔父上を、主はできる限り早くその御元に導きたかったのでしょう」

年齢は叔父より少し上くらい。遠方に住んでいるため普段会うことはめったにない貴族だった。9歳で神学校に入り、家には手紙で近状を知らせることはあっても戻ってくることは稀で、故に親戚づきあいもあまりしていなかったアンリにとっては名前はおろか、生前叔父とどの程度交流があったのかも良く分からない。

叔父危篤の知らせを聞いた時はスペインにいた。急いで帰って来たものの死に目には会えず、バタバタと過ぎて行ったこの数日間だった。司祭として葬儀を取り仕切ることはあっても、喪主として葬儀を執り行うのは初めてだったため、「用が済んだのなら他の連中と同じようにさっさと帰ってくれ、こっちは疲れているんだ」と内心思っていたが、そんな不満は顔には出さず、遠路はるばるやってきてくれたこの初老の紳士の話に付き合ってやることにした。

「しかし、男爵もさぞ鼻が高いでしょうなぁ。兄君の忘れ形見が今や立派な神父様で、しかも銃士隊であれほど目覚ましい活躍をされたのだから」
「は?」

俺が銃士?何を言っているんだこの親父は、といぶかしんだアンリにはお構いなしに、初老の貴族は話を続ける。

「パリで音に聞こえた三銃士のアラミス殿とは君のことなのだろう?私は直接お目にかかったことはないが、ノワジー・ル・セック村出身で、女性のように色が白く、上品ですらりとした20代の男と言えば、この村では君ぐらいなものだ」

アンリはめずらしく、誰が見てもはっきりわかるような驚きの表情を浮かべた。相手はそれを別の意味にとったのだろう。おっと、と口に手を当てると、声を落として言葉を続けた。

「安心したまえ。聖職にある君がかつて軍隊にいたということをとやかく言う連中がいるのだろう?このことは内緒にしておいてあげるから。その代わり、今度私の孫娘の話を聞いてやってくれないかな?あれでなかなか面食いでねぇ」
「は…はぁ…」

どいういうことなんだ?と視線を彷徨わせると、バツの悪い顔をした妹のルネと、同じくバツの悪い顔をしている弔問に訪れた親戚のトレビルの姿が目に入った。

―なるほど。

ようやく合点の行ったアンリは話を適当に切り上げると、妹とトレビルに、一緒に書斎に来るよう目配せした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「どういうことなのか、説明して頂きましょうか?トレビル殿に…えーと、アラミス殿?」

トレビルとルネが書斎に入るのを確認すると、アンリはやおら口を切った。執務机を挟んで小父と妹に向き直る。顔には極上の笑みを浮かべ、口調も穏やで優し気だったが、その実腹の中にはものすごい怒りが渦巻いているのを、この百戦錬磨の銃士隊長と元銃士は感じていた。

だが、それで動じる2人ではなかった。まずいなとは思いつつも、トレビルは、あの小さかったアンリが今やこうして自分に説教できる年になったことを頼もしく思い、また自分もかつて先代の隊長の執務机の前に立たされ、うるさく小言を言われていたことを思い出し、懐かしい気持ちになった。

一方アラミスもアラミスで、いつも自分が何かやらかしたとき雷を落としていた隊長とこうして肩を並べて怒られている状況を、奇妙な楽しみを持って臨んでいた。

しばらく口をつぐんで相手の出方を待とうとしたアンリだったが、目の前の2人に反省の色が見えないばかりか、むしろ彼らが現状を楽しんでいることを悟り、このままでは埒が明かんと自ら攻勢に出ることにした。

「パリに出て、トレビル殿の世話になっていると聞いていたが…」

ルネ失踪の知らせを聞いたのは今から10年ほど前のことだ。見つけたらすぐ連絡するようにと叔父からの手紙に書いてあったのだが、それからしばらくすると再び叔父から「パリのトレビルの元に身を寄せているから心配無用」との連絡が入ったのだ。

だが銃士になっていたとは寝耳に水だった。しかも三銃士のアラミス―世間では間違いなく男で通っている人物だ。叔父はこのことを知っていたのか、今はもう本人に直接確かめる術はないが、知っていたところで教会に身を置く自分に話せる内容ではなかったのだろう。

アンリはイライラした感情が声の中に出てくるのを感じた。

「トレビル殿、銃士隊に女がいることが世間に知られたらどうなるか、考えはしなかったのですか?」
「トレビル隊長は悪くないわ!私が無理やり頼み込んだのよ」
「そうだろうとも!」アンリは、妹の方に向き直って言った。「良識ある大人は普通そんなことはしない」
「トレビル隊長には良識がないって言いたいの!?」
「お前のお転婆が度を越していると言っているんだ!」
「だって他に方法が思いつかなかったんだもの!」
「方法!?何の?」

不毛な兄妹ケンカの様相を呈してきたやりとりに、トレビルが「まぁまぁ」と割って入った。

「アラミス、順序立てて説明してやらんか。まずお前が銃士になった理由をアンリに話してやりなさい」

上司に促され、ルネはしぶしぶと、フランソワとの一件を簡潔に語った。

「ほう、なるほどねぇ…」

アンリは感心したような口振りで言ったが、「お前ふざけるな!」と思っているのは明らかだった。

「そ、それでね、女だってことが知られるとまずいから、そこは伏せて、誰にも知られないようにしたの。隊長の他に知っているのは友人のダルタニャンとジャンと、太后陛下だけど、皆口外しないって約束してくれているわ。だから大丈夫よ」
「どこが大丈夫なんだよ?出身地と年齢がバレているんだ。さっきの見て思わなかったのか?俺はこれから一生、お前に間違えられ続けるってことなんだぞ!」
「それについては悪いとは思っているわ」

しゃあしゃあと言ってのけられ、さすがのアンリも言葉に詰まった。最悪だ、と心の中で呟く。先ほどの貴族にも指摘された通り、この村でその年齢の貴族の男と言えば自分くらいしかいない。世間ではアラミスは「男」で通っており、まさか本当は女だとは誰一人思っていないのだ。人違いですと否定したところで信じてもらえるわけがなく、そもそも真実が表ざたになった場合のことを考えると否定なんてできるはずがないし、していいはずもない。頭を抱え込みたい気分でいっぱいだった。

「…全く、気でも違ってしまったんだろうか、我が妹は」
「私は至って正常です」
「だったら少しは後先考えろよ、畜生め!」

てっきり修道院で大人しく祈りを捧げていたものと思っていた兄の口から「畜生め!」などという、銃士だった自分よりも銃士らしい言葉が出たことに、ルネは思わず口元を緩めた。自分も相当な人生を送ってきたが、兄も自分に負けず劣らずハチャメチャな人生をこれまで送って来たに違いない、一体何をやらかしてきたのやらと俄然興味がわいたのだ。

「何笑ってるんだよ?」

アンリがあからさまに不機嫌な声で聞く。トレビルはこれから先、この青年が担って行かなければならない重い役割を思い、憐れみのこもった口調で言った。

「まぁ、そう怒ってやるなアンリ。今回のことはわしにも責任はある。できる限りのことはしよう」
「当然です」
「ではまず、銃士隊の隊員名簿を書き換えておこう。アラミスの本名は、ルネの方で登録してあるからな」

ああやはりそういうことになるのか、とアンリはついに覚悟を決めると、陰気な皮肉を込めて言った。

「よろしくお願いします」
「うむ。では『善は急げ』だ。早速取り掛かるとしよう。失敬するぞ」

トレビルはアンリの返事を待たず、そそくさと部屋から出て行ってしまった。アンリの口調に背筋が寒くなり、一刻も早くこの場から退散したくなったのだ。

「あ、ちょっと待って、隊長!」

慌てて後を追おうとするルネの手首をアンリは逃がさんとばかりにむんずと掴むと、強引に自分の方を向かせ、にっこりと微笑みかけた。

「どこに行くのかな?お前の家はここだぞ?」

トレビルにはあと15分くらいチクチク嫌味を言ってやりたかったが、逃げられてしまったのなら仕方ない。今日の所はこいつで我慢してやる。

「え…あ、いや、隊長のお見送りに行こうと…」
「トレビル殿は何分お急ぎのご様子。見送りなどと言って引き留めては却って迷惑だぞ?それに、お前にはまだまだ聞きたいことが山のようにあるんだ」
「う…」

ルネは兄の手を振りほどこうとしたが、がっちりと掴まれ微動だにしなかった。銃士隊の荒くれ者共より細く、女のような白い手―女の自分が思うのも何だが―のどこにこんな力があるのか不思議だった。

「まずはお前がこれまでどこで何をしていたのか、詳しく懺悔(は)いてもらうからな」
「えっ、い…今から?」

心強い味方(トレビル)がいなくなったこともあり、ルネは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。今この状況で兄と二人きりで話すことは非常に怖かった。相手の口調が妙にサバサバしていることも恐怖に拍車をかけている要因の一つとなっていた。

「そうだとも!今日から俺はお前になるんだぞ?ボロが出ないように、情報共有は速やかに行った方がいいに決まっているじゃないか」
「いやでも8年以上はあるし。今から話してたら夜が明けてしまうわ」
「別に構わんだろう」
「夜更かしはお肌の大敵よ」
「俺は夜と朝の祈祷を休んでお前の話に付き合ってやろうというんだぞ?お前の美容と俺のお勤めと、どっちが大切だと思っているんだ?」
「叔父様の葬儀のあった当日よ?叔父様が安らかに天国に行けるようお祈りするならともかく、私事(わたくしごと)を夜通し語るなんて、罰当たりなんじゃないかしら?」
「なーに、家出した放蕩娘の帰りをいつまでも待っていて下さった心優しい叔父上のことだ。葬儀の当日だろうが断末魔の苦しみに喘いでいるまさにその瞬間だろうが、久しぶりに会った兄妹が水入らずで話すのを悪く思うわけあるまい」
「でも叔父様が良くても神様が…」
「安心しろ。それについての赦しは俺が与えてやる」

ぴしゃりと言ってのけられ、ルネはようやく、もはや逃げられないと観念した。自分の口から乾いた笑いが漏れてくる。そして自分が思っている以上にまずいことになっていることを理解した。銃士を辞め、秘密を知った人達が固く口を閉ざしてくれることを約束してくれれば秘密が外に漏れることはなく安心だと思っていたが、それが間違いだったことに今更ながら気づいたのだ。

こうなったらもう、兄に何もかも話して完全に味方に引き入れてしまう他なかった。間違えられてしまった以上、自分達はもはや一蓮托生。兄の協力なくして秘密を守り通すことはできないのだから―。

ルネは覚悟を決めると腕の力を抜き、これまでのことを話し始めた。



〜終〜

―――――――――――

このシリーズの最大の被害者は実はアンリ君なんじゃないかという話。コミカルな話にしたかったんだけど、そしたらトレビルとルネさんがなんか酷い人間になってしまった(汗)。トレビルって公式ではアラミスの叔父だっけ?伯父だっけ?遠縁だとむしろ小父?

出身地と年齢が分かっているんだったらそこから足がつくんじゃないかとずっと思ってたんだけど、考えてみればトレビルとの血縁ってとこからでも足がつきそうだよね…。「○○村出身、年の頃は××で銃士隊長の血縁」って結構ピンポイントで身元分かっちゃうんじゃないかと思うんですが。…まぁ、その情報がどこまで登場人物の間でオープンになっているのか分かりませんけど(でもアトスとポルトス知ってたから少なくとも出身地はある程度周りに周知されてるんだと思う)。

キリスト教の葬儀の仕方がイマイチ良く分かっていないのですが、葬儀はやっぱその教区に所属する司祭が取り仕切るのかな?と思ったので、別の人(その土地の司祭)が取り仕切ったことにしてしまいました。まぁ実際問題両方やるのは大変だろうしね。

アラミス達が銃士を辞めたのは機密文書事件から暫く経った後(約半年以内)、温泉旅行出かけたのがそれから4年後、叔父さんが亡くなったのは旅行の3年半ほど前、という設定。

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