すり替わったアラミス―兄の逆襲



アンリは書斎の執務机を挟んで、ルネと差し向いなったまま座っていた。部屋の時計は午前5時を回っている。些か疲れた表情をしているのは、夜通しずっと話を聞いていたせいだけではないだろう。

「なんというか…見事に異端狩りの連中が聞いたら喜んで食いつきそうなネタばかりじゃないか」

アンリがため息交じりに言った。

「聖書にも『女が男の格好をしてはならない』って書いてあるし。戒律に厳しい保守派の連中に知れたら絶対叩かれるだろうな」
「……」

彼らは少しでも王道とか公式とかから外れると大騒ぎをする。アンリはふと、叙階の際に提出する論文に選んだテーマが異端に触れるとかで、散々司祭に文句を言われたときのことを思い出した。

「―ま、銃士だったことについてはトレビル殿も全面的に協力してくれるというし、俺とお前がボロさえ出さなければなんとかなるだろう。一般常識に助けられたな」

屈強な男たちばかりの軍隊において、女ではないかと噂はされても実際8年もの間、その噂を信じ正体を暴こうとする者が誰もいなかったということは、誰もが「常識」によりそれを「起こりうるはずのない非常識」として思考の中から排除した結果だと考えることができる。それが現状における唯一の救いだった。だが―。

「今後一切、フランソワ殿のことは口にしないことだ」
「えっなんで?」
「なんでって―」

真顔で切り返され、アンリは言葉に詰まった。これを口にしてしまって良いのだろうかと逡巡する。だが今後別の誰かから追究された時のことを考えると、今自分の口から言ってしまった方が良いように思えた。

「お前が『キリスト教徒であり王家に仕える善良な貴族を誘惑した魔女』と言われないようにするためだ」
「は?」
「銃士隊にいたときのことについては俺が身代わりになって何とかしてやることはできても、まぎれもない女であるお前が、女として過ごしていた時期のことについてまでは責任持てないからな」

アンリは妹の顔をちらりと見た。相変わらず、何のことを言っているのか良く分からないという顔をしている。

「パリに出て一体何を学んできたんだよ、全く…」

そう言ってこの日、幾度目かのため息をついた。

「詳しく説明してやらないと分からないようだな。その前に1つ聞いときたいんだが、フランソワ殿はカトリックか?」
「え…あ…いや、良く分からないけど…」
「分からない!?」アンリは思い切り侮蔑の感情を露にして言った。「お前結婚する気だったのに相手の宗派も把握してなかったのかよ!?」
「いやだって、そういうの全然気にしてなかったし…」
「ちゃんと確認しとけよ。大事な事じゃないか」
「あ、あの屋敷に残っている聖母マリア像を見て『大工たちもこれを取り外してしまうのは忍びなかったのでしょう』って言ってたからカトリックだとは思うけど…。お父上のダニエル侯爵が新教徒だから新教徒かも…」
「はっきりしない奴だな。仮に新教徒だったら、お前改宗するつもりだったのかよ?」
「う…うーん…。そこまで考えてなかった…かな」

正直あのころは恋に恋している状況で、そんな細かいことまで頭が回っていなかった。というか、宗派違いの可能性なんてこれっぽっちも疑っていなかったと言った方が正しい。

「お前な…。まぁいいやどっちでも。大して変わらないし」
「えー?今大事なことだって…」
「ルネ」
「何?」

そう、大して変わらないのだ。新教徒だった場合、「旧教徒のくせに新教徒の男に惚れたふしだらな女」という枕詞が新たに加わる…ただそれだけなのだが。

「説教しているのは俺だ」

腹立たしげな口調に、ルネは思わずビクリと身を震わせた。

「いいか、奴らはこう考える」

アンリはおもむろに立ち上がるとルネの背後に回り、淡々と続けた。もう二度とバカなことをしでかさないよう、徹底的に責め立ててやるつもりだった。

「『善良なるキリスト教徒で国家機密に直接かかわる重大な仕事を任された、王族からも信頼の厚い貴族が無関係な娘と恋愛し、結婚することなど許されるはずないことは、その貴族自身よく分かっていることだ。秘密についてもそう簡単に漏らすはずがない。彼が秘密を口にしたのは、その女が誘惑したからだ』」
「ちょ…ちょっと…!」
「『男はあの女の色香に惑わされたのだ。あのように真面目で誠実な貴族を惑わすなど、なんと性悪な女だろう』」

言いながら、アンリは時折妹の方をちらりと見ながら、彼女の背後をゆっくりと行ったり来たりする。コツコツといやらしく響く足音と容赦のない言葉にルネは思わず耳を塞ぎたくなったが、そんなことはもちろん兄が許さなかった。

「『しかもその娘が秘密を口外したことで男は殺され、王子は誘拐された。そして危うく国王陛下まで殺されるところだった。全くもって許しがたいほどの罪深い女である』」
「いい加減にしてよ!」

ルネは立ち上がると兄に激しくくってかかった。

「私、そんなつもりで彼と付き合っていたんじゃ…!!」
「お前の“つもり”が一番どうだっていいんだ。重要なのはお前の取った行動を奴らが気に入るかどうかなんだよ。分からないわけじゃないだろう?」
「……」

ルネは力なくうなだれた。異端狩りは噂程度にしか知らないが、それでもどんなものなのかは分かっているつもりだ。自分のフランソワに対する愛がどんなに純粋で穢れのないものであったと訴えても、糾弾する側が自分の言うことに耳を傾けはしない。

「ああついでに、後見人の承諾も得ていないくせに、どういうわけでお前がわざわざ『婚約者』なんて言葉を使っているのか敢えて詮索する気は俺にはないけどな」

アンリは、今度はわざとらしい口調で言った。

「…?」
「魔女裁判の初期段階の取り調べに処女検査ってのがあるらしくてなぁ。そこで“黒”だったら即極刑行きらしいぞ。何でも、悪魔と契約を交わすとき女は処女を奪われることになっているんだそうだ」
「……っ!」
「もっとも、仮にそこで“白”だったとしても、銃士だったことがバレたら一巻の終わりだなー。『アラミス』なんて、スペルを逆にすると悪魔の名前になるじゃないか。男としての力を手に入れるために悪魔と契約を交わした証拠にされるぞ」

ルネは、全身の血がサーっと引いていくのを感じた。名前を変えるならもう少し考えてつけろよと、まだくどくどと嫌味を言い続けている兄の声は、もはや耳に届いていなかった。自分の置かれた立場が、思っていたよりもずっと危ういということに気付かされたのだ。

―何をやっているんだろう、私は…。

パリに出て、これまでと全く違う生活を送って、様々な冒険をして、世の中のことを知って、心の底から信頼できる仲間も出来て、自分は変わった、強くなった、成長して、何でもできるようになったと思っていたのに、結局自分は甘やかされて育った世間知らずの娘でしかなかったのだ。

その証拠に、自分がこれまで取った行動を周りがどう見るのかも正しく認識しておらず、しかもその全ての尻拭いを、一番関係のない兄にやってもらおうとしている―。

自分でやった行動の責任も取れず、結局誰かに守ってもらわなければ、その命すらも保てない弱い弱い存在なのだということを、今身に染みて感じたのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


閉ざされたカーテンの隙間から、朝日が差し込んできた。

「もう朝か。結局徹夜になってしまったな。これからのことは一休みしてから考えるとしよう。お前も少し休め」

真っ青な顔をして呆然と立ちつくしている妹の姿を見て満足したのか、或いは多少心が痛んだのか、アンリは優しげな口調で言った。

「大丈夫。お前を火あぶりになんかさせやしないから」

心配するな、と妹の肩に軽く触れると、彼女の身体がぐらりと傾いた。慌てて抱き留め、椅子に座らせやる。

「それじゃあ、お休み」

額に軽く唇を寄せ、部屋から出て行こうとした兄に向かって、ルネが力なく呟いた。

「ごめんなさい、お兄様…」

元よりあんな悲しいこと、ホイホイ他人に喋るつもりはなかったのだが、当時無知であったが故の軽薄さを、呪わずにはいられなかった。

「謝る必要はないさ」

扉に手をかけようとしていたアンリは、顔だけ妹の方に向けて言った。口元にはニヤリとした笑みを浮かべている。

「俺には俺の目的があるし。お前がアラミスとして築いた人脈、名声をそっくりそのまま頂けるのだから、安いものだ」

帰って来たのを契機に、フランスでの基盤作りに取り掛かろうと思っていたところだった。結局は色々なつてを辿って地道に人脈を広げていくしかないのだが、ゼロからスタートするより、元からある基盤を使った方がはるかに手っ取り早い。

「その代わり、もう二度と異端狩りの連中に目を点けられるようなことだけはしないでくれよ」

いくら俺でも庇いようがなくなるからな―アンリはそう言うと妹を残し、自室に引き上げて行った。


〜終〜

―――――――――――

アニ三アラミスの諸設定に対する(宗教的)総ツッコミ&兄さん前回のあれだけじゃ絶対いじめ足りなかったよねっていう(笑)。

アニ三アラミスが8年もの間周りに女だってことがバレなかったのは、ある意味正常性バイアスに近いものがあるんじゃないかと思う。彼女の設定(というか、制作側の彼女の設定の扱い方というか)についてはまだまだ言いたいことがあって、ここじゃ語りつくせないのでブログでやりたいと思ってるんだけど、純粋なアニ三(アラミス)ファンの反応が怖いので躊躇してます。でもここまでやったらもう勢いでやっちゃうかもしれませんが(笑)。

フランソワさんの宗派について。聖母マリア像云々のセリフ、違ってたらスンマセン。別冊アニメディアの「愛・アラミスの旅立ち」捨てちゃったから実際のセリフ確認できないんだけど、確かこんなこと言ってたよね…?聖母マリアを信仰するかどうかはカトリックとプロテスタントの違いの1つなので、あのセリフはカトリックじゃないと出てこないと思うんだけど、映画でダニエル侯爵が「自分は新教徒」って言ってたので私は一時期結構混乱してました(笑)。要は父子で宗派違うってことなんだろうと今では思ってるんだけど。

でもあの小説ではヒゲなしの若い青年フランソワがアニメではヒゲありのおっさんになってたので、その辺の設定も実は変わってそうな気が…。フランソワ本人がカトリックじゃなくても相手がカトリックだと分かってたら気の利いた人ならああいうセリフ出そうだし…なんかあのときルネちゃんがマリア像に気づいたのでなんとなく気を利かせて言っただけのような気もするし…彼くらい賢い人だったらマリア像見たときのルネちゃんの反応見て一発で旧教徒だって分かりそうな気もするし…。そもそもフランソワの年齢設定自体が大幅に変わっているのでアレを公式と考えていいのかどうかという疑問も残るし…。

まぁ所詮は宗教に疎い日本で作られたアニメなんだからそんな細かいこと言いっこなしだよ!ってことになるんだろうけど。でも本編の方で宗教対立の話出して幼気な子供を母親探しの旅に出させたんだから、その辺の設定うやむやのままってことはないと思うんだよね。。。

聖書の話は本当。正確には「女は男の着物を身に着けてはならない」(旧約聖書「申命記」)。男が女の格好してはいけないってのもちゃんと書いてあるけど。新約聖書にも似たようなこと書いてるのらしいんだけどちょっとどこだか分らなかった…。使徒の言行録あたりにさらっと書いてあるんだろか。教えて司教猊下(笑)。

あーちなみに、作中の「異端狩り」は「異端審問&魔女裁判」のニュアンスで書いています。前にブログにも似たようなこと書いたけど、異端審問=教会(の頭の固い保守派)主導、魔女裁判=民衆や領主、国家権力主導、というイメージ。

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