陰謀に失敗し、スペインに逃れた後、アラミスはマドリード郊外にある屋敷で過ごしていた。都会の喧騒から離れ、小川や森などの自然に囲まれたこの地に、大陰謀を企むことにかけては右に出るものはないと思われている秘密宗団の首領の一人が暮らしているとは、誰もが思わないに違いない。
この一見穏やかな田舎で、彼は時にはスペイン王室に出入りし、時には部下を使い、管区長としての仕事に専念していた。
そんな折、屋敷の者が、彼への来客を告げに来た。聞くとフランスから来たという。
「フランスからだと?どこの誰だ?」
フランスからの情報は、全て彼の部下からの飛脚によりもたらされている。もとより、フランス国内で彼がスペインにいることを知るのは一部の部下と先日手紙を送った友人のみで(それだって、詳しい住所は伏せていたのだ)、かの国から自分を探しにこの屋敷に来ることなど、本来不可能なことだった。
取り次いだ者からその名を聞いたアラミスは、直ちに自分の書斎に通すよう命じた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「バザンではないか。久しぶりだな」
フランスからの来訪者とは、彼のかつての従僕だった。最後に会ったのはいつだったろう。アラミスは懐かしさのこもった仕草で手を差し出すと、バザンはうやうやしくその手に接吻した。
「お懐かしゅうございます旦那様」
「まさかお前が俺を訪ねに来るとはな。なぜここが分かった?何の用で来た?」
バザンの朴訥さは主人であった彼が一番良く知っていた。アラミスは椅子にどかりと腰を下ろすと、探りを入れることもなく、単刀直入に聞いた。
「コルベール殿の使者として参りました」
バザンはおどおどしながら答えた。主人に裏切り者だと思われるのが怖かったからだ。
コルベールの名を聞いて、アラミスは僅かに身を固くした。そして、なぜこの場所をバザンが知っていたのかを理解した。ダルタニャンに送った手紙が、先にコルベールの手に落ちたのだ。手紙を送る際、その危険性を事前に予期していなかったわけではなかったが、こうもピンポイントで住所が割り出されたところを見ると、手紙はルイの手にも渡り、ルイからスペイン国王への問い合わせがあったに違いない。自分を捕らえに来たのだろうか?
「ふん…フーケ殿の熱心な信者だったお前が、フーケ殿失脚後はその敵に尻尾を振るようになったとは。お前もなかなか隅に置けないなぁバザン先生?」
アラミスが嫌味たっぷりに言う。
「そういうわけではございません。わたくしは今も昔と同様、フーケ様を敬愛しております」
「どうだか…。大方ムランでの司祭職の保留とか、告悔の認可書でも約束されたのだろう?」
「旦那様旦那様、後生でございます。そんな意地悪な事言わないでくださいませ」
バザンが今にも泣きそうな顔をして手を合わせて懇願する。
「ああ分かった、分かった。分かったから俺の前でそんな醜い顔をするな!…で、用と言うのは?」恐縮したバザンを満足気に眺め回すと、アラミスは問うた。
「国王陛下から、旦那様への恩赦が出てございます」
「恩赦だと…?」
―まさか、向こうから和議の申し出が来るとはな…。
アラミスは、バザンが鞄の中から取り出した手紙を受け取った。
本来、和議の申し出はこちからから行おうと思っていたものだ。ポルトスを無事スペインに連れ帰った後、例の双子の王子がフランスで不当に監禁されていることを理由にルイ14世に揺さぶりをかけ、戦争回避を名目に恩赦の取引を行う―もっともポルトスが死んでしまった時点でそれをする意義はなくなってしまい、スペイン到着後はフランスとの仲を取り持つことなどせず過ごしていたのだが…。
アラミスは手紙に目を通した。次のことがしたためてあった。デルブレー、デュ・ヴァロン両氏の恩赦とデュ・ヴァロン氏の名誉回復、そして、ルイ14世陛下が親政を始めるにあたり、イエズス会のスペイン・フランス管区長であるデルブレー殿のお力をぜひともお借りしたい。ついてはヴァンヌの司教区にお戻り頂いて構わない―と。
―なるほど。俺を利用しようということか。
―俺を許しポルトスの名誉を回復する代わりに、親政に協力しろと…。
恩赦とは名ばかりの条件付きの降伏要請だ。アラミスは手紙を読み終えると、静かに折りたたんで机の抽斗に仕舞った。なぜ自分が管区長であることをコルベールが知っていたのかという疑問が浮かんだが、すぐに解決した。十中八九、シュブルーズ夫人が教えたのだろう。
と同時に、なぜバザンが自分の元に派遣されたのかも分かった。コルベールやルイの直属の部下だったら、こちらが警戒してまともな話し合いすらできないだろう。腹の探り合いで終わってしまうかもしれない。話を端的かつ簡潔に済ますため、欲深ではあるが策を弄することとは無縁な自分の従者を、わざわざ選んだのだ。
―つまり、それほど俺の…管区長としての力が欲しいということか。
アラミスの口元に一瞬、苦々しげな笑みが浮かんだ。
「しかし、旦那様は相変わらず無茶をなさいますな」アラミスが手紙を読み終えたところを見計らい、バザンが口を開いた。「ベル・イールに立てこもり、国王軍と一戦交えて最後までフーケ様への忠誠を貫くとは…」
「言ったはずだぞ、バザン。司教に取り立てて下さったフーケ殿に俺は尽くすつもりでいる、とな」
言いながら、アラミスはフィリップを置いて行ったことで打った布石がこうも効果的に発揮していることに、奇妙な満足感を覚えた。フランスの双子の王子の秘密も、自分がその秘密に乗じて国王をすり替えようとしたことも、全ては闇の中。表向きはあくまで、絶対の権勢を誇っていた財務卿が失脚し、その残党が国王に反旗を翻したに過ぎないのだ。
ルイは自分に双子の兄弟があったことを公にしたくはない。だからこそ、ベル・イールを攻撃するに当たり、先ずフーケを逮捕せざるを得なかったのだ。「フーケの残党を処罰する」という口実を作るために。
そしてその口実を作ってしまったがために、自分を訴追する名目を失ってしまったのだ。王位簒奪を目論んだ謀反人なら、強引に捕まえて裁判にかけ、絞首刑にすることもありだったろう。だが、たかが一大臣の臣下が起こした反発に、そこまでするのは現実的ではない。下手をすれば世論はフーケや自分への同情論に傾き、「忠義の士を殺した」として国王の威厳に傷がつくのは明明白白だからだ。何より、親政の幕を血でもって開けるのは、恐怖政治の始まりに過ぎない。ルイはそのことに気づいたのだ。本来はポルトスのために使いたかった布石なのだが…。
「恩赦の申し出、有り難く受け入れると先方に申し伝えよ」アラミスは言った。「だたし、条件がある、とな」
「条件…ですか?」
バザンがこちらを見る。
「そうだ。一つはフーケ殿の助命、もう一つはサン・マルグリット島にいる囚人に対し一生涯、その身分にふさわしい待遇を与えること。以上だ」
「はぁ。旦那様がフーケ様の助命を嘆願するのは分かりますが…しかし囚人と言うのは…?」
「サン・マルグリット島に、奇妙な鉄の仮面を一生つけることを義務付けられた囚人が収容されている、と聞く。そのような哀れな囚人に神のご慈悲を願うのは、神に仕える者として当然ではないか」
「旦那様は相変わらず、慈悲深くていらっしゃいますな。その囚人はよほど身分の高いお方なのでしょうか?」
「は…俺の話に興味でもわいたのか?」アラミスはさも、妙なことを聞くとでもいった風に答えた。「その囚人が何者かなんてことまで俺は知らないさ。俺が言いたいのは農民だったら農民、市民だったら市民、貴族だったら貴族にふさわしい待遇を、ということだ。どんな罪で入れられているのかは知らんが、本来の身分と著しくかけ離れた不当な扱いを受けているようでは、哀れでならないからな」
「なるほど」
「それと、手紙には司教区に戻って来て構わないと書いてあったが…」
「お戻り頂けるのですか?」
「ヴァンヌの司教区はいらん」
「な…何をおっしゃるのです!?司教区はどうなさるおつもりで!?」
「新しく司教を立てるか、司教代理にでも任せておけばよかろう」
バザンは「はあああああ」と長く、大きなため息をついた。そのため息には、「折角司教になられたのにもったいない…フーケ様の取り巻きだった方々は国王陛下の下で以前と変わらぬ活動を許されているというのに、あなた様ときたら一体どこまで頑固なのか…」という思いが十二分に込められていた。バザンは主人に何か言おうと口を開きかけたが、アラミスは従僕の不満など聞く気になれんとばかりに突然話題を変えた。
「ときにバザン、宿は取ってあるのか?」
「はい、市内の教会に」バザンはしょんぼりしながら答えた。
「そうか。では明朝10時にもう一度この屋敷に来い。さっき言ったことを手紙にしたためる」
「かしこまりました」
「ああそれと」
アラミスは部屋から出てこうとしたバザンを呼び止めた。
「久しぶりにお前の顔を見たらお前の料理が食べたくなった。夕飯に何か作って行け」
「本日は土曜日、精進日でございます。ほうれん草と果物で宜しゅうございますか?」
「構わん」
「本当でございますね?後で『こんなもの食えるか』とか言わないで下さいましよ?」
「安心しろ。そんなことは言わん。どの道年のせいか最近めっきり食も細くなったからな。そのくらいでちょうどいい。厨房の場所は家人にでも聞け」
「あのう…」
「何だ?」
「わたくしはスペイン語が分かりません」
アラミスは一瞬言葉に詰まったが、すぐに呼び鈴を鳴らすと、入ってきた従者にスペイン語で二言三言伝えた。
「こいつに厨房の場所を案内させる。ついて行くがよい」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、バザンは時間通り、ルイ14世とコルベールに宛てた手紙を受け取りに、アラミスの屋敷を訪れた。バザンは書斎で手紙を受け取ると、大切に鞄の中に仕舞った。
「要件は分かっているな?」アラミスが問う。
「はい。恩赦受け入れの条件は2つ。1つはフーケ様の助命、もう1つはサン・マルグリット島にいる囚人に、身分にふさわしい待遇を生涯与え続けること」
アラミスは「よろしい」という風に頷いた。
「しかし、懐かしいですな」バザンが目を細めて言う。「昔はよくこうして、旦那様のお手紙をあちらこちらに届けたものです」
「銃士だった俺を苦々しく思っていたお前の口から、当時を懐かしむ言葉が聞けるとはな」
主人の軽口に、バザンが恐縮したように頭を下げる。アラミスは立ち上がると、前線の兵士に命令する指揮官のような口調で言った。
「さあ行け。行って返事をもらって来い」
バザンは一礼すると部屋から出て行った。
扉が閉まった後、アラミスは再び椅子に腰を下ろすと、軽く深呼吸をした。見えない相手との攻防に、やや疲れが出たようだ。
―この俺を利用したいなら利用するがいいさ。もっともタダで利用されるほど、俺は安くないがな。
窓の外から、馬車が走り出す音が聞こえた。窓から庭を見下ろすと、バザンの乗った馬車が屋敷の外へと走って行くのが見えた。
ルイとコルベールがこれでどう出るかは分からない。だが奴らは思い知るだろう。例え俺がフランスにいなくとも、フランス中に張り巡らされている俺の「目」と「耳」が、絶えず奴らを見張っている、ということを。
ふとアラミスの耳に、「恥辱を受けて生きるくらいなら死んだ方がましだ」という、あの日ヴォーで言われたフーケの言葉が蘇ってきた。
フーケの生を条件に加えたことは、本当に良かったのだろうか―そんな疑問が頭をよぎる。逮捕され、財産を没収されたフーケは、それでも生きることを望むのだろうか、いっそ殺して欲しいと願うのだろうか。あの日のように。
スペインからアトスとダルタニャンに手紙を送り、その後しばらくして届いたアトス親子の訃報に、アラミスは非常に大きなショックを受けた。
彼は立て続けに、自分の最も近しい3人の友を失ったのだ。
職業柄、またかつて銃士であったこともあり、人の死には慣れっこになっていたが、友に先立たれることがこれほどまでに辛いことだということが、身に染みて良く分かった。生まれて初めて、もう誰も失いたくないと、そう思った。
アラミスは、遥かフランスの彼方に幽閉されているであろうフーケに向かって呟いた。
―生きていてもらいますよ、フーケ殿。
―私が生きている限り、あなたを死なせたりは決してしません。
―そもそもあなたは私より若いのだから、私より長く生きてもらわなねば。
―そう思う俺は、やはりエゴイストなのだろうか…?
次第に遠ざかって行くバザンの乗った馬車を見送りながら、アラミスはふっと寂しげに微笑んだ。
〜終〜
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こいつ敗戦の将のくせになんでこんなに偉そうなんだ(笑)。
アラミスが恩赦を受けるに至った経緯にはね、絶対政治的・司法的な取引があったんだと思うんだよね。11巻の最後でアラミスがコルベールに宛てた手紙に、「イエズス会管区長の座を一時的に退こうと思う」「仮の後継者を紹介します」って書いてあったので、恐らくルイ&コルベールはアラミスの宗教界における影響力(管区長としての権力)に着目して、親政を行うにあたり、処罰するのではなく自分達の側に取り込みたいって思ったのではないかなぁ、と。手紙から察するに、アラミスが管区長であることをコルベールが知っていたことをアラミスは知っていたみたいだし。きっとその辺で何かやりとりあったんじゃないかなーと。個人的に、アラミスが公爵に叙せられたのはその辺の話がまとまってからなんじゃないかなーと思う。
フィリップについてはね、置いて行ったことに対してフォローしたかったんだけど、これホントにフォローになってるの?っていう感じになってしまった(;´▽`A``。まぁ私は所詮、アラミスはフィリップのこと道具としてしか見てなかったと思ってるのでね(この辺今度ブログでやろうと思ってマス。ていうかここに書こうとしたら長くなったのでやめた・笑)。あと11巻エピローグで、当初フーケには死刑判決が出ていたけど最終的に死刑は免除になったってエピソードがありましたが、それについてはアラミスが裏で何か工作してたらいいな、っていう(笑)。
バザンってこういうキャラで良かったっけ?なんかほかの従僕に比べると出番が少ないから良く分かんないんだけど。そして彼が出てきたらなぜかやりたくなった精進日ネタ(笑)。今回の話とは直接関係ないから省こうとも思ったんだけど、やっぱどうしてもやりたくなってさ(笑)。
ああちなみに、管区長としてのお仕事は別に悪事ってわけではありませんよ?ちゃんと事務的な仕事も入ってます。多分それがメイン(笑)。ていうか書いてて思ったんだけど、ダル物設定ではイエズス会って相当の陰謀集団みたいだから、そこのトップである以上、はかりごとと無縁な生活を送るなんてことは絶対に不可能な気がする(笑)。
アラミスがスペインに亡命して以降ヴァンヌの司教職はどうなったんでしょうね。エピローグでアラミスのこと「ヴァンヌの司教」って書いてある部分があったから、「えっまだこの人司教なの?」なんて思ったことあったんですが。まぁ実際には彼に対する呼称の1つとして習慣的に書かれてあるだけであって、亡命した時点で司教職ははく奪されたんじゃないかなって思うんだけど。ただ恩赦になったからどうなんだろうね。仮に留保されてても本人戻るつもりはこれっぽっちもなかっただろうなって気はするんですが…。
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