すり替わったアラミス~手紙の行方~

「今日は随分と上機嫌じゃないか。何かあったのか?」

スペインに越してきて数年、フランスとスペインの間では戦争が起こっていた。祖国との緊張状態・戦争などアンリ自身は慣れたもので今更何の感情も抱かなかったが、ルネの場合はそうではない。気丈に明るく振舞ってはいても、どこか暗い気持ちを引きずっているのは明らかだった。

だが今日は違う。楽しそうな笑みの裏に見え隠れしていた影はなりを潜め、時々何かを思い出したように口元が緩むのだ。


「実はね、こういうのが手に入ったの」

誰かに見られるのが憚られることなのか、ルネはアンリを自分の部屋に連れて行くと扉を閉め、懐から紙切れを取り出した。誇らしげに兄の目の前でそれを広げて見せる。

「何だ、これ?」
「ふふ、何だと思う?」

その紙はところどころ砂埃でまみれ、茶色くなっている。赤黒い染みのようなものはもしかして血か…?紙には文字が書いてある。どうやらフランス語のようだ。その筆跡に、アンリは見覚えがあった。

「!これって…!」
「そう、アトスがダルタニャンに宛てた手紙よ」

ルネの話によると、先ほどアンリが出かけていた間、アンリの友人で軍への太いパイプを持つ司祭がこの手紙を届けに来たのだという。何でも、ブザンソンの包囲戦のフランス側の塹壕から風に乗って飛ばされてきたのだとか。フランス軍の作戦に関する重要な文書か、はたまた何かの暗号文かと躍起になって解読したものの、どうやらただの陣中見舞いだということが分かり、行き場を失った手紙が司祭の元に流れてきたのだという。しかし司祭だってただの陣中見舞いに用はない。捨ててしまおうかと思ったが、フランス人であり公私ともに渡仏の機会が多いアンリなら、もしかしたら手紙の主に心当たりがあるのではないかと思い、わざわざ持ってきてくれたのだそうだ。

もしかしたら、スペイン人には分からないことでもフランス人であるアンリ達にならこの手紙に隠された意図が分かるのではないか、との思惑もあったのかもしれないが…。


「ふーん何々…『親愛なるダルタニャン。俺は今小さな土地に住んで…』…って何するんだルネ!」

あちらこちらをたらい回しにされた揚句、しわくちゃになった手紙を読み上げようとした瞬間、ルネがアンリの目の前に広げた手紙をひったくるように引き寄せた。

「だってこれはアトスがダルタニャンに宛てた私的な手紙よ?アラミス殿が内容知ってちゃいけないの!」

悪戯っぽい笑みを浮かべながら、私はもうアラミスじゃないから知ってても別にいいんだーとどこか勝ち誇ったように言う。何だそれ…とアンリは思ったが、妹の嬉しそうな顔を見ていると、そんな不満はどこかに行ってしまった。


「それにしても、なんでアトス殿はダルタニャンに手紙なんか出したんだろうな。前線の兵士は大変なんだろう?」
「だからこそよ。アトスはダルタニャンのことを実の息子のように可愛がっていたから、何かと心配だったんでしょう」

思えば、今回の戦争はダルタニャンにとって、自分達三銃士が軍籍を退いて以降初めて経験する大規模な戦争だ。今までは4人協力して銃弾の嵐をかいくぐってきたが、仲の良かった仲間がいなくなり、1人戦地で心細い思いをすることもあるだろう。手紙の内容はひどく当たり障りのないものだったが、自分が元気に暮らしていることをダルタニャンに知らせることで、戦場で命を張っている彼を元気づけたかったのだろうと、彼女は理解した。

それにしても―とアラミスは思った。昔のダルタニャンだったら手紙を追ってスペイン軍の陣地に乱入し、一暴れしていただろう。ここにこうして手紙があることを考えると、どうやらそんな無茶はしなかったようだ。ダルタニャンも随分と大人になったじゃないか、と彼の成長ぶりを頼もしく感じた。

「この手紙を見た瞬間ね、懐かしい、戦場の香りがしたの」
「戦場の香り?」
「そう、火薬と血と汗と、辺りを舞う砂埃の香り…」

かつて4人で駆け巡った戦場の記憶が、つい昨日のように蘇ってくる。苦しくも幸多かった時代に思いを馳せ、幸せな思い出に浸っていたルネの心に、ふと虚しさがこみ上げてきた。

―私はもう、あの中に入っていくことはできない…。

自ら決意し覚悟していたこととはいえ、こんなにも辛く感じるとは。

「火薬と血の香りが懐かしい?相変わらず変なこと言う奴だなお前は…」そう言おうとしたアンリだったが、最後まで言葉が続かなかった。妹が一瞬、泣きそうな顔をしたのが目に入ったのだ。

ルネがついとアンリに背を向けたのは、それを見咎められたくなかったからだろう。アンリは堪らなくなって妹の身体を抱きしめた。

パリの三銃士の噂は、当時スペインにいたアンリも何度か耳にしていた。何でもあの3人は切っても切れない強い絆で結ばれているという。そのうちの1人が絆を絶つことを望み、異国の地にあり、かつ戦争で彼らと敵味方に分かれてもなお、彼女の元に彼らの手紙が舞い込んで来たことを考えると、噂は本当らしい。

どんなに関係を絶つことを望んでも、どんなに手を尽くしても、運命が彼女を追いかけてくるのだ。そしてこんなにも彼女を苦しめる―。

なぜ神は我々を実の兄妹として生まれ給わせたのだろう。もし赤の他人であったのならば、このまま彼女の唇を塞ぎ胸のふくらみに手を伸ばし、ほんの一時だけでも彼らのことを忘れさせてやることができるというのに。

「ダメよお兄様。そんな風に甘えても、手紙は見せてあげないからね!」
「そんなことは分かっているさ。ただ…」

いつもの調子に戻った妹だったが、強がっているのは表情を見なくとも分かっていた。

―ならば俺はお前の兄として、与えうる限りのものをお前に与えてやろう。お前の能力が最大限に活かされる最高の舞台を―彼らのことなど思い出す余地もないほどめまぐるしく活躍できる場を用意してやる。俺には、それを実現するための野心も能力もあるのだから。

―そしてお前の覚悟を知ってもなお、過去の関係にこだわる愚かな友のことなど…あんなにもあからさまな嘘を信じ、本当のお前の存在など気にも留めない友のことなど、忘れてしまえ。

「ただ、何?」
「ただの陣中見舞いと分かっても今は戦時下だからな。口さがない連中のいらん詮索を避けるためにもその手紙、ちゃんと処分しておけよ?」

ルネははじかれたように顔を上げた。彼らとのつながりを示すものは、すべて処分してしまっている。今日偶然手に入れたこの手紙は、彼女にとってまさに宝物同然だった。青い瞳で、兄の真意を探ろうとする。


―そう…ね。思い出して苦しむくらいなら、いっそ失くしてしまった方が…。

「安心して。私だって元は軍人よ。この手のものの処理の仕方は心得ているわ」

そう言ってふっと笑って見せる。


――思い出として記憶に留めることはあったとしても、それでもう苦しむことがないように…。

 

~終~

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あとがき的な何か

前回(「二十年後」の話)を書くに当たりダル物3巻7章を読み返したのですが、その時ダルの「アトスからもらった手紙が風に飛ばされてスペインの陣営に行っちゃったよ事件」を読んで思いついた話です。「ブザンソンの包囲戦」ってスペインでも「ブザンソンの包囲戦」っていうのかって疑問はさておき、年代的に三十年戦争(…のフランス・スウェーデン戦争)の戦いの1つだと思うんですけど、それで合ってるの…かな?探しても具体的な記述が見つからなかったのでイマイチ確信持てないんですが…。 

 

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